メッセージ - 祝福の明細(レビ記26:1-13)
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26章は祝福とのろいの約束である。
その祝福を受けるための条件は、1-2節に記されており、その時受けるべく祝福はどのようなものであるかが、3節から13節の所に具体的に記されている。
また、主の命令を守り行わず、呪いを受けるとしたら、それはどのようなものであるのかも、14節から39節にかけて、詳細かつ具体的に記されている。
この章は、「こうすればこうなる」という約束の目録であるが、読んでみると、あたかも旧約聖書のイスラエルが辿った歴史を読んでいるかように思える程、そまんまの祝福とのろいがイスラエルに起きている。
祝福を受けるための条件は、以下の二節である。
『あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしはあなたがたの神、主だからである。あなたがたはわたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。』(レビ記26:1-2)
ここでは特に、偶像の禁止と、安息日の尊守の二点が命じられているが、それらは、十戒の中でも特に重要なものである。
偶像とは天地を創られたまことの神以外の「神」であり、偶像礼拝とは、まことの神と自分との間に「別の何か」を置いて、それにより頼む事である。
その「別の何か」とは、何も、神社仏閣にある偶像とは限らない。お金も、仕事も、異性も、そして自分自身も、偶像になりうる。
祝福の第一条件は、偶像の禁止、すなわち、神と私達との間に、何も置かない事である。
また、「わたしの安息日を守り、またわたしの聖所を敬わなければならない。」と言われており、つまり主は、「主が定めた日」と、「主が定めた場所」とを重んじ、敬うべきだと言っている事がわかる。
キリスト者の中には、礼拝は「何も主日ではなくても良い」「教会でなくてもどこでもできる」と言って、主日以外の日、教会以外の場所で礼拝を行う人がいる。
確かに、主を礼拝するのは、いつでも、どこでも出来る。事実、迫害下にあった時のキリスト者はそのように行った。
だからと言って、特にやむを得ない理由も無いのに、敢えて主日礼拝に行かないとしたら、それは、自分の好き勝手を優先させているのであり、主が定めた日、主が定めた場所を軽んじる事である。
『もしあなたがたがわたしの定めに「歩み」、わたしの戒めを「守って」、これを「行う」ならば、わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。』(レビ記26:3-4)
祝福は、主の定めに歩む事、主のいましめを「守り行う事」によるのであり、聞いて頭の中に留めておくだけでは、与えられない。
しかし主の御言葉を守り行う人には、時に叶った雨が与えられ、蒔いた種に対し、大地には産物が、仕事場には勤労の実が、豊かに与えられる。
『あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。』(レビ記26:5)
麦の収穫は春のイースター時期に始まり、ぶどうの取り入れは九月ごろである。つまり、麦打ちが春から秋までずっと続く程の、大収穫が与えられる、という事である。
そんなに大量に穫れてどうするのか、と思うだろうか?
主に従順な世代のイスラエルは、それこそ、ねずみ算式に増えて行くのであるから、主は、食料をそれ程に豊かな実りをもたらして下さるのである。
だから、教会に人数が大いに増えたらどうしよう、食事や集会の場所はどうしよう、などという「嬉しい心配」さえ、無用である。主がその全てをちゃんと備えて下さるから。
『わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。』(レビ記26:6)
イスラエルの近辺は、聖書にも幾度か記されている通り、古くから戦争の多い所で、熊や獅子などの獣も出没する所である。
そのような危険な場所にあっても、主の御言葉を守り行うのであれば、それら全ての危険から守られ、安息が与えられ、安らかに寝る事が出来るのだ。
また、敵への勝利の約束が与えられている。
『あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。』(レビ記26:7-8)
実際聖書には、主に忠実なわずかな人数が、圧倒的多数の敵に勝利した記事が、幾つもある。
『わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。』(レビ記26:9-10)
主の御言葉を守り行うなら、子供たちはおびただしく多くなって行く。それでいて、穀物倉から食料が尽きてしまう、という事も、一切無いのだ。
そして、何よりの祝福は、以下である。
『わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、心にあなたがたを忌みきらわないであろう。わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう。わたしはあなたがたの神、主であって、あなたがたをエジプトの国から導き出して、奴隷の身分から解き放った者である。わたしはあなたがたのくびきの横木を砕いて、まっすぐに立って歩けるようにしたのである。』(レビ記26:11-13)
主が共におられる事、主が私達のうちに住んで下さる事。
それこそ、何にもまさる祝福である。
主はイスラエルをエジプトから救い出し、奴隷のくびきの横木を砕いて、祝福の道へと導いて下さったように、私達をも、希望なき世から救い出し、罪の奴隷状態から開放し、罪のくびきを打ち砕いて下さった。
この主と共に歩むこと、主が共に住んでいて下さる事の幸いが、どれ程であるのかを、ますます知り、ますます拠り頼んで歩んでいく皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!