メッセージ - 栄光の家系の女達 - タマル1(創世記38:1-11)
栄光の家系の女達 - タマル1(創世記38:1-11)
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新約聖書は、いきなりイエス・キリストの系図で始まる。何とも初心者に不親切と思えるが、この系図に名を連ねている人々の成り立ちは、知れば知るほど、人の罪深さと、主の憐れみ深さを知り、いかに、どうしようもない人であっても、栄光の家系に連なる事ができるのだ、という希望が湧いて来る。
これから、この系図に登場する「女性たち」に焦点を当て、何度かに分けて見て行きたい。
系図の中で最初に登場する女性は、タマルである。(マタイ1:3) ユダとタマルによってパレスとザラが生まれた、とあるが、ユダとタマルは、夫婦ではない。タマルは、ユダにとっては、息子の嫁、という関係である。
ユダはイスラエルの王族の父祖であり、全世界を救うメシヤの家系の家長だが、その大切な一族の初期の段階から、既に人の罪が渦巻くドラマがある。一体なぜ、このような事になってしまったのか。
『そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。ユダはその所で、名を「シュアというカナンびとの娘」を見て、これをめとり、その所にはいった。』(創世記38:1-2)
事の発端は、ユダが、神に召された家族の元を離れ、異邦人の地に行き、異邦人の娘を見て、それを妻とした所に始まる。神の子達が兄弟姉妹の元を離れ、異邦人を見染めて妻を迎え入れると、必ず多くの悲しみや、時間やエネルギーの多大なロスを生み出す元となってしまうのは、ノアの大洪水前からそうである。
この異邦人の女との間に最初に生まれた息子・エルは、ユダ自身が名付けたが、2番目・3番目の息子はこのシュアの娘が名付けたようである。(同3-5節) 異邦人の妻と暮らしていく中で、ユダの家長としての権威はますます弱くなり、異邦人の娘の影響力がますます大きくなって行ったのだろう。
『ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。』(同6節)
ユダの妻である「シュアの娘」は、出所は「カナン人」であると記されているのに、名前は聖書に一切記されていない。それに対し、タマルは全く逆で、名前は明確に記されているのに、出所が一切記されていない。
という事は、タマルはアブラハムの家系だったのかもしれない。いずれにせよ彼女は、ユダの子孫を残す事の大切さをユダより意識しており、ユダも、しっかりした彼女によって息子が改善するのを望んだ事だろう。
しかし長男エルは、異邦人の母の影響を多大に受け、主を畏れる心は育たず、主を怒らせるようになり、ついには子供を残さないまま、主に殺されてしまった。
ユダは、次男のオナンに「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」と命じたが、彼は、子が自分のものとならないので、兄に子を得させまいと、行為の度に子種を地面に流した。
それは「生んで増えて地に満ちる」という神の御心にも、また、父の命令にも、反抗する事だったため、主は彼をも殺された。神にも父にも反抗してまで、自分を貫きたい、という者を、主は打たれるのだ。
ところで、ユダを含め、ヤコブの12人の子達は、カナン人に劣らず罪深い行いを沢山したのに、主に打たれていない。それは、主は、罪深い人を打つというより、主に反抗する者を打たれるからである。
息子が二人死んでしまったので、ユダはタマルが縁起悪いと思ったのだろうか、彼女を三男から遠ざけた。
しかし、息子二人が死んでしまったのは、書いてある通り、息子たち二人が、主に逆らったからである。
そしてこの三男シェラも、主に打たれて死ぬ要素が、十分にあった事を、ユダ自身認めていたのだろう。
ユダは、タマルを遠ざけるよりも、自分達の内にある神に嫌われる性質を遠ざけるべきだったのに、それをせず、一人の弱い立場の女性・タマルを遠くにやって、嫌な事はうやむやのまま、葬り去ろうとした。
しかし、神に属する一族にあっては、罪の問題やいのちを生む事、神へ果たすべき責任を、うやむやのまま先延ばしにして、そのままフェードアウト出来るわけは無いのだ。
ユダは悔い改めを先延ばしにしてしまった結果、後に神と人の前でとても恥ずかしい思いをする事となる。
ちょっとした信仰の妥協は、大きなロスと悲しみを生み出し、果たすべき謝罪や悔い改めを、先延ばしにすればする程、後に受ける恥も災いもどんどん膨れ上がっていく。その詳細は、次回にゆずりたい。
主の御声は、どんなささやかなものでも、正確に聞く耳が開かれ、その導きに従って歩み、時間も、いのちも、ロスする事なく歩んで行く皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!