メッセージ - 荒野を覆う巨大な生きた十字架(民数記2:1-34)
礼拝説教メッセージ音声:荒野を覆う巨大な生きた十字架(民数記2:1-34):右クリックで保存
『主はモーセとアロンに言われた、「イスラエルの人々は、おのおのその部隊の旗のもとに、その父祖の家の旗印にしたがって宿営しなければならない。また会見の幕屋のまわりに、それに向かって宿営しなければならない。 』(民数記2:1-2)
民数記2章は、六十万以上のイスラエルの部隊が荒野を行進して行く上で、どのように秩序立って進んでいくべきかが、命じられている。
この荒野の行軍は、誰もがが好き勝手に、無秩序に好きな所へ行って良い、というものではない。
主が定められた配置どおりに進み、主が定められた場所に留まらなくてはならない。
そして、この六十万以上の宿営の中心は、神の幕屋、すなわち、神を礼拝する所である。(17節)
現代を生きるキリスト者の歩みも、約束の地を目指して荒野を行軍して行くイスラエルの民のようなものである。
私達も、彼らと同じく好き勝手に進んではならず、それぞれが立つべき立ち位置につき、主が定められた所に住まい、導きに従って進退しなくてはならない。
主の臨在が進んだなら、私達も進み、主の臨在が留まったなら、そこに留まる、という、主を中心とした歩みをしていくべきである。
荒野を行軍して行く際は、それぞれの部族の旗印にしたがい、宿営すべき場所が主から定められている。
すなわち、神の幕屋を中心として、その東側にはユダ、イッサカル、ゼブルンの3部族、合わせて十八万六千四百人が宿営し、その南側にはルベン、シメオン、ガドの3部族、合わせて十五万一千四百五十人が宿営し、その西側はエフライム、マナセ、ベニヤミンの3部族、合わせて十万八千百人が宿営し、そして北側には、ダン、アシェル、ナフタリの3部族、合わせて十五万七千六百人が宿営する。
さて、この隊形は、天から見ると、どんな形になるだろうか。
それはちょうど、西側を頭とした十字架の形となるはずだ。
イスラエル民族は、普通に天幕生活したり、行軍したりしているつもりでいて、実は、彼ら全体で十字架を表現していたのだ。
私達キリスト者の歩みも、荒野の天幕生活のようである。
その日々の歩みには、キリストの十字架は見えにくいかもしれない。
しかし、天から見れば、そして永遠の視点から見れば、主があちらこちらに配剤されており、そして、私達の「人生」という綾織物が完成した時、実は、この人生の全体を通してキリストが表現されていた事に気づくだろう。
いや、今もすでに人生を振り返った時、人生のあの時この時でキリストが練り込まれていた事に、既に気づいている方が、おられるのではないだろうか。
そういうわけで、私達が人生という荒野の旅路を行軍して行く際、中心とすべきは、主を礼拝する事である。
主が定められた、それぞれの立ち位置につき、主の導きに従って行動すべきである。
主が「東を守れ」と言っているのに、自分の好き勝手で、南西を守っていたら、その人自身も、そして全体にも、支障が来される。
世に出て働く人は、与えられた場所でしっかり働き、主の奉仕が割り当てられている人は、しっかりその務めをなし、そうして私達おのおのは、キリストのからだの各部分として有機的に機能し、全体を通してキリストを表現して行くのだ。