メッセージ - 栄光の家系の女達 – タマル4 祝福を掴む執念(創世記38:27-30)
栄光の家系の女達 – タマル4 祝福を掴む執念(創世記38:27-30)
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世の中のお父さんとお母さんの馴れ初め話を聞くと、心和むものや、聞いていて嬉しくなる話は多いが、必ずしもそうでない場合もある。ユダとタマルという父母の馴れ初め話(?)は、最悪な部類に入ると言えるだろう。しかしなんと、タマルの子ペレツは、後にはイスラエルの中で、祝福の代名詞となった。(ルツ4:12)
いかに父母の最悪な行為によって生まれた子でも、祝福の代名詞にまでなれるのが、栄光の家系の不思議であり、神の民の醍醐味であり、キリストによって神の民に加えたらた私達には、慰めである。
イエス様を受けいれた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子となる全権が与えられた。
その人は、親の血統や肉欲は一切関係なく、ただ、神によって全く新しく生れたのである。(ヨハネ1:12)
では、タマルの子ペレツは、なぜ祝福の代名詞になったのか。その鍵は、祝福を掴む執念である。
『さて彼女の出産の時がきたが、胎内には、ふたごがあった。』(創世記38:27)
助産婦は、最初に出てきた赤子の手に「こちらが長男だ」という印として、真っ赤な糸を結びつけたが、その子は、お母さんのお腹のほうが居心地良かったのか、戻ってしまい、その間に、もう一方の子が先に生まれ出てきた。その、先に生まれてきた子はペレツ(割り込む)、手だけ先に出して、長男としての真っ赤な印をつけられながらも、後から出て来て、長男ではなくなってしまった子は、ゼラフ(輝き)と名付けられた。
ゼラフも、手を引っ込めたりせず、そのまま長男として出ていれば、王族の家系を継ぐものとされていたものを、それを逃し、割り込んで先に生まれ出たペレツが長男とされ、このペレツから王族が出る事となった。
この事は、現代を生きる私達への警告であり、戒めである。
ひと度、栄光の世界に一歩足を踏み入れ、祝福のしるしがつけられたのに、肉の中にいる事のほうを良しとし、その中へと引っ込んでしまうなら、その王族の家系の権利は別の人に奪われ、永遠に逃してしまう。
ヤコブの兄・エサウも、長子の権利を軽んじ、それを奪わんと虎視眈々と狙っていた弟によって、長子の権利も、祝福も、奪われてしまった。彼は、一杯の食物によって、長男の権利そのものを売ってしまった。
『一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。』(ヘブル12:16-17)
御国が私達に向かって手を差し伸べている時、天国への道が開かれている時、臆病になってはならない。『臆病な者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、全て偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。』(黙21:7)
黙示録のこの箇所では、第二の死へと向かう筆頭は、「臆病者」で、その次が「信じない者」である。
なぜ、邪悪な「人殺し」とか、神を知らぬ「偶像礼拝者」を差し置いて、「おくびょう者」が筆頭なのか?
それは、御国に入るチャンスが与えられ、その前味わいまでしたのに、捨て去るべき以前の世と決別する段になって、おくびょうになり、捨てきれないからだ。
ポンテオ・ピラトをかわいそう、と言う向きもある。イエス様を敬う心を少し持っていたのだから、赦してあげればいいじゃないか、と。しかし、イエス様を敬う心を持っていながらに、最後には臆病の故にイエス様を捨てて世に従ってしまう、これは、最初からイエス様に敵対していたパリサイ人達よりも、たちが悪い。
なぜなら、イエス様が真理であり王の王であると知った上で、なお、拒否したからだ。
『バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。』(マタイ11:12) 神の国の権利は、それを奪おうとする人が勝ち取り、自分は大丈夫だと安穏として肉に浸り続け、そこから動こうとしない人は、祝福の権利を奪われてしまう。
パリサイ人達は、ヨハネのバプテスマはどこから来たのか、と、イエス様から質問をされた時、人前で臆病になり、「わかりません」と答えた。そこで主は、あなたがたよりも取税人や遊女の方が、先に神の国に入っている、と、宣言された。(マタイ21:23-32)
イエスの血潮という、救いの「赤い印」が与えられたなら、それを決して離さず、神の国を熱心に求め、執念深く祝福を奪い取って行く皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!