メッセージ - 省かれる事の無い捧げ物の目録(民数記7:10-89)
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礼拝説教メッセージ音声:省かれる事の無い捧げ物の目録(民数記7:10-89):右クリックで保存
この民数記7章は、聖書の中で2番目に長い章であり、そしてその中には、イスラエル12部族が主のために捧げた捧げ物の細かな内容が記されている。
主は、イスラエル12部族が捧げものをする上で、一日に一部族ずつが捧げるように、命じられた。
『第一日に供え物をささげた者は、ユダの部族のアミナダブの子ナションであった。
その供え物は銀のさら一つ、その重さは百三十シケル、銀の鉢一つ、これは七十シケル、共に聖所のシケルによる。この二つには素祭に使う油を混ぜた麦粉を満たしていた。また十シケルの金の杯一つ。これには薫香を満たしていた。また燔祭に使う若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の小羊一頭。罪祭に使う雄やぎ一頭。酬恩祭の犠牲に使う雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の小羊五頭であって、これはアミナダブの子ナションの供え物であった。』(民数記7:12-17)
このように第一日はユダ部族の代表が捧げた、そして第二日、第三日と、一部族ずつそれぞれの部族の代表が捧げて行くのだが、おのおのの部族が捧げた内容は、全て同じで、しかも、その数も、重さも、器の中に満たしたものも、全て一緒である。
ユダ部族が一番多く、マナセ族はその半分以下だが、ユダ部族は多く捧げ、マナセ族は少ないという事も一切なく、全て一緒である。
この箇所は、あたかもコピーペーストした内容をひたすら繰り返し読んでいるように、内容に起伏が無く、長い箇所なので、朗読する側も、聞く側も、飽き飽きしくるかもしれない。
しかし、各部族が捧げた物がいかに同じであったとしても、「以下同文」などと省かれる事はなく、一つも漏らさず記された。
同じように、私達が主に捧げたものも、奉仕も、全て、天の書物に正確に記録され、一切省かれるものが無いのだ。
私達は、主イエスにあって祭司である。
一つ一つの恵みを数えて感謝し祈る事や、家庭や職場を執り成す日々の祈りは、時に、あまりに同じ文句を祈っているようで、飽き飽きして来る事もあるかもしれない。
しかし、私達はそういう事に、飽きてはならない。
主の働き人も、もし誰かから献金や献品をいただいた場合、それが、わずかな食事の一杯であったとしても、ないがしろにせず、主に感謝し、その人のために主に執り成して祈る事を、省くべきではない。
これらイスラエル各部族が捧げた品々は、尊い器で、尊い事に用いられた。
将来の不信仰な王の時代に、強国への貢物にされてしまったり、バビロンの捕囚先ではベルシャツァル王によって、これら神殿の尊い器が宴会のさかなにされたりもしたが、主は真実なお方であり、そのような悪い者への報いはきっちり果たされ、そしてさらに将来、エズラによって、これら器は、再びエルサレムの神殿へと返された。
私達は、主の器であり、また、聖徒を導く人は、主の器を運ぶ者である。
私達は自分自身が尊い事に用いられる器として、日々自分を整えるべきであり、そしてまた、主から託された尊い器を、主の御元に納められるその日まで、しっかり管理するべきである。