メッセージ - 百パーセントの主の守りと導き(民数記9:15-23)
礼拝説教メッセージ音声:百パーセントの主の守りと導き(民数記9:15-23):右クリックで保存
『幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。それはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。常にそうであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。』(民数記9:15-16)
荒野で幕屋を建てたその日以来、イスラエルの民は、この不思議な雲によって、岩砂漠の地を進み行く行程が守られ、導かれてきた。
『主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。 』(詩篇121:5-6)
とあるように、主は六十万を超えるイスラエルの民を、その照りつける日差しから、四十年もの間守り続けてきたばかりでなく、朝ごとにマナによって養い、岩からほとばしり出る水によって喉を潤した。
彼らは百パーセント、主の守りと恵みによって守られ続けて来たのであり、それが無かったら、すぐにでも死に絶えていただろう。
イスラエルの民は、今日はマナが降ったけれど、明日から振らなかったらどうしよう、今日は水があるけれど、明日からなくなってしまったらどうしよう、今日は雲によって守られ導かれているけれど、明日から雲が無くなってしまったらどうしよう、と、心配がよぎったかもしれない。
しかし主は毎日、一日もかかさず、律儀にそれらを与えて下さった。
彼らが滅ぼされても仕方ないような事を何度も起こしたにもかかわらず、それでも主は真実を貫かれ、毎日の恵みを忠実また誠実に与え続けてくださったのだ。
主は毎日、正しい人にも悪い人にも太陽を昇らせ、恵みの雨を与えて下さるお方だ。
『雲が幕屋を離れてのぼる時は、イスラエルの人々は、ただちに道に進んだ。また雲がとどまる所に、イスラエルの人々は宿営した。すなわち、イスラエルの人々は、主の命によって道に進み、主の命によって宿営し、幕屋の上に雲がとどまっている間は、宿営していた。』(民数記9:17-18)
イスラエルの民は、幕屋の上に雲が留まる時は進まず宿営し、雲がのぼったなら、幕屋の杭を抜いて出発した。
雲が留まるのが、たとえ二日であっても、一か月であっても、あるいはそれ以上であっても、主の臨在の雲が幕屋にとどまっているなら、イスラエルの人々は宿営し、それがのぼると、出発した。
私達の歩みも、主の臨在を第一に据えて歩むべきである。
主の臨在が留まったなら、たといそこが自分の思いとしては留まりたくなくても留まり、主の臨在が去ったなら、そこから出て行くべきである。
そうでないと、どんどん干からび、渇き、人生の歩みをますます見失って行ってしまう。
荒野の民が行く道先も、進むタイミングも、留まるタイミングも、全て百パーセント、主の導きによった。
この事は、自分で道を切り開き、自分の望む所を行きたがるような人には、つらいかもしれない。
しかし、主の導きを無視し、自分の行きたい道を行く人に待っているのは、百パーセントの滅びである。
一体人間の誰が、岩砂漠の中を四十年もの間、六十万以上の人を養い、導き、守る事が出来るだろうか。
私達キリスト者の人生の歩みも、イスラエルの荒野の旅と同じである。
誰も自分の力で、道を正しく切り開いたり、家族を養ったり、正しく導いたりする事は、誰にも出来ない。それは主の恵みと導きを要するのだ。
『すなわち、彼らは主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって道に進み、モーセによって、主が命じられたとおりに、主の言いつけを守った。』(民数記9:23)
彼らは、このおかげで荒野の行程を無事に終える事が出来た。
私達も、主の導きによってそこに留まり、主の導きに従って進み、そうして正しい道を歩む事が出来、家族を正しく養い導く事が出来るのだ。