メッセージ - 想像を遥かに超えた分量の肉(民数記11:16-23)
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主は、モーセと民の願いの両方を聞き入れられ、実際に目に見える形で行動を起こして下さった。
しかし、後になって見ると、彼らが叫び願った事が叶えられた所で、結局、何も良くなってはおらず、民が主につぶやき主を怒らせる事も相変わらずだったし、そして、それを直さない人に待っているのは結局、滅びである。
主は、民が願った通り、肉を与えて下さるのだが、その与え方は半端ではない。
『あなたはまた民に言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすを待ちなさい。あなたがたは肉を食べることができるであろう。あなたがたが泣いて主の耳に、わたしたちは肉が食べたい。エジプトにいた時は良かったと言ったからである。それゆえ、主はあなたがたに肉を与えて食べさせられるであろう。
あなたがたがそれを食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではなく、一か月に及び、ついにあなたがたの鼻から出るようになり、あなたがたは、それに飽き果てるであろう。それはあなたがたのうちにおられる主を軽んじて、その前に泣き、なぜ、わたしたちはエジプトから出てきたのだろうと言ったからである。』(民数記11:18-20)
なんと主は、二百万以上もの人々を、今後一ヶ月にも及んで満腹させる程の膨大な肉を与えられるという。
食料など何もない岩砂漠地帯に、主は、とてつもない分量の肉を、満たして下さる、というのだ。
『モーセは言った、「わたしと共におる民は徒歩の男子だけでも六十万です。ところがあなたは、『わたしは彼らに肉を与えて一か月のあいだ食べさせよう』と言われます。羊と牛の群れを彼らのためにほふって、彼らを飽きさせるというのですか。海のすべての魚を彼らのために集めて、彼らを飽きさせるというのですか」。』(民数記11:21-22)
きっとモーセは、目の前の六十万以上の文句を言う民に目を留め、海がどれ程広いか、どれ程生物がいるかも知らず、主にそのような事を告白したのだろう。
『主はモーセに言われた、「主の手は短かろうか。あなたは、いま、わたしの言葉の成るかどうかを見るであろう」。』(民数記11:23)
主の御業はなんと大きい事だろう。それに対して、人の頭はなんと小さいく、求めるものは何とつまらない事だろう。
人は思う。何故にそんなにも多くの肉を主は備えられるのか、と。
民の身勝手な要求に対して、そんなに多くの肉を与える必要ないのでは、やり過ぎでは、と。
しかし実は、その量の「膨大さ」に、主の怒りが込められているのだ。
主は、人が御言葉を軽んじて、欲望に飛び込んでいきたいのであれば、そうするがままにされるのだ。(ローマ1:24)
『不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。』(黙示録22:11-12)
いずれにせよ人は、主が提示された事を、計算する”くせ”があるが、主は、人の計算を遥かに超えた事を計画しておられる。
主に求める聖徒の必要は、人の思いをはるかに上回る形で主は叶えて下さり、また、身勝手な欲望を主にぶちまける人には、その人をその欲望のままに、滅びへと引き渡されるのだ。