メッセージ - 剣を取るか、御心を取るか(マルコ14:43-52):礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
剣を取るか、御心を取るか(マルコ14:43-52):礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2010-12-29 7:11
礼拝説教メッセージ音声:剣を取るか、御心を取るか(マルコ14:43-52):韓国語通訳あり(右クリックで保存)
イエス様が捕縛される場面では、大勢の群集によって力ずくで捕らえられたというより、イエス様が主導権を取って自ら捕らえられに行ったようである。
イエス様は大勢の武器を持った群集に囲まれた時、「わたしはある」と言い、群集は言葉の権威に圧倒され倒れ(ヨハネ19:6)、イエス様は「私を求めているならこの人々は行かせてやりなさい」と指図までした。(8節)
大勢に力ずくでねじ伏せられ捕らえられたのではなく、御父が与えて下さった杯を真正面から受けるために、自らの主導で捕らえれて行ったのである。
ペテロは威勢良く剣で打ちかかり、大祭司の僕マルホスの右の耳を切り落とした。
人の望みは、力づくで打ち負かす事である。彼らは暴徒達を力で打ち負かす事を望んで打ちかかったのであろうが、主の御心は逆で、なんと、弟子が切り落とした耳を癒すのである。
12軍団以上の御使いに命じて自分を守らせる事のできる主は、あえて抵抗せず、弟子達が一人も捕われないようにし、見事に自分だけが捕らえられて行くのである。
弟子達は最初は威勢が良かったが、イエス様が自主的に、あまりにあっさり捕らえられてしまうと、一人残らず逃げてしまい、ある青年は裸にされてでも逃げた。
インターネット上でAとBのクリスチャンがおり、二人とも言葉で攻撃されるのを私は見た。
Aは膨大な言葉や御言葉の剣で打ち、呪いで返したが、Bの場合は赦し、愛し、攻撃した者を祝福した。
事の行方はまだ決していないが、どちらに主の御心があり、神様の分があるのか、一目瞭然である。
確かにクリスチャンには御使いが陣を張ってあらゆる敵から守られるが、私達が取るべき道は必ず守られる安泰な道ではなく、イエス様の道、すなわち「父の御心を選ぶ」道である。
その道は一時、悲しみや裏切り、敗北の道に見えるが、主は後に偉大な栄光を受けたように、勝ち得て余りあるのである。
人間には先の事は分からず、一時的に敗北や悲しみを通らされるかもしれないが、最終的に大いなる栄光、大勝利、永遠の命を勝ち取るのである。
主の御心を選び、大いなる勝利の道を選ぶみなさんでありますように、イエスの名で祝福します!