メッセージ - 見渡す限り一面「肉」世界(民数記11:31-35)
礼拝説教メッセージ音声:見渡す限り一面「肉」世界(民数記11:31-35):右クリックで保存
神を何か、欲望を叶える「道具」の一つのように見る人がいる。
レストランや学校などに、クレームを言えば言う程、色々なサービスを引き出せる、と、思っている人達がいるが、それと同じ感覚で、神や、モーセなど主の働き人に、うるさくクレームつければつける程、色々なサービスを引き出せる、と、思っているとしたら、大きな勘違いである。
私達は神にサービス(礼拝)を捧げる側で、サービスを受けられるのは、神の側である。
肉欲に駆られて不平不満をつぶやく民が、一方的に不平不満をぶちまけ、モーセなど主の働き人達が、一方的にその重荷を負わされる、という状態が、いつまでも続く事を、主は許されない。
『さて、主のもとから風が起り、海の向こうから、うずらを運んできて、これを宿営の近くに落した。その落ちた範囲は、宿営の周囲で、こちら側も、おおよそ一日の行程、あちら側も、おおよそ一日の行程、地面から高さおおよそ二キュビト(およそ八十八センチ)であった。』(民数記11:31)
人が一日ずっと歩き通しても、見渡す限りは、九十センチ近くにまで降り積もった、肉、肉、肉。
一面銀世界ならぬ、一面「肉」世界である。
これは、単純に「肉が与えられた」と喜んで良いものではなく、圧倒的な御業をなさる主を恐れ、今まで主につぶやいて来た事を悔い改めるべきではないだろうか。
『そこで民は立ち上がってその日は終日、その夜は終夜、またその次の日も終日、うずらを集めたが、集める事の最も少ない者も、十ホメルほど集めた。彼らはみな、それを宿営の周囲に広げておいた。』(民数記11:32)
一ホメルは、二百三十リットル、ゆったり目な風呂一杯分ほどである。
だから、少なく集めた人でも、風呂十杯分の肉を集めたのだ。
実に、驚くべき分量である。
彼らは望みどおり、向こう何日分もの肉が確保できた事を、喜んだかもしれない。
ところが、である。
主が備えて下さった、その驚くべき膨大な肉を見、手に取り、口の中にまで持っておきながら、それを歯の間に残したまま死んだ人達が、大勢いた。
『その肉がなお、彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。これによって、その所の名はキブロテ・ハッタワと呼ばれた。欲心を起した民を、そこに埋めたからである。キブロテ・ハッタワから、民はハゼロテに進み、ハゼロテにとどまった。』(民数記11:33-35)
もし、肉に病原菌が含まれていたとか、肉が腐っていた、とかいった事だったら、全ての人が害を受けていたであろう。
ところが、どうもそういう事ではなさそうで、ある特定の人々を狙い撃ちしたようである。
狙い撃ちされた人とは、すなわち、欲心を起こした民(34節)であり、相変わらず欲から離れなかった者達である。(詩篇78:27-29)
主が、圧倒的な御業によって恵みを与えられたのに、感謝もせず、主の素晴らしさを覚えもせず、望んでいた肉が与えられたら、早速欲深い手を伸ばし、ただ貪り食おうとした者達を、主は、打たれたのだ。
肉欲を追求して止まず、主に感謝もせず、ただつぶやくままにつぶやく者達に対し、主は、圧倒的な分量の肉まみれにして、その肉の中で、滅び行くまま任せられる。
そのような「主の滅ぼし方」もある事に、私達は恐れおののくべきである。
主から顔をそむけ、金を追求して止まない者を、主は、圧倒的な金で満たして、滅び行かせる。
権力、名声、快楽を追求して止まない者を、主は、圧倒的な権力、名声、快楽で満たして、滅び行かせる。
私達は滅びる前に、それらを手放し、主に心を向けるべきである。
『彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。・・・また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。』(1コリント10:5-11)
私達は、これらの事から教訓を得るべきであり、また、次の主の言葉をよく心に刻みつけるべきである。
「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである。」(ヨハネ6:26-27)