メッセージ - 良い地にはびこる、追い払うべき巨人(民数記13:17-24)
礼拝説教メッセージ音声:良い地にはびこる、追い払うべき巨人(民数記13:17-24):右クリックで保存
モーセは、斥候部隊を遣わして主が約束された土地を探らせる時、その土地がどんなに良い所か、実際に目で見、よく調べ、くだものを運び来るように命じた。
『そこで、彼らはのぼっていって、その地をチンの荒野からハマテの入口に近いレホブまで探った。』(民数記13:21)
彼らはレホブまで、すなわち、ダマスコよりも北の、ユーフラテス川近くにまで、探りに行ったようであるが、その広大な土地の中で、特に重要な土地は、以下である。
『彼らはネゲブにのぼって、ヘブロンまで行った。そこにはアナクの子孫であるアヒマン、セシャイ、およびタルマイがいた。ヘブロンはエジプトのゾアンよりも七年前に建てられたものである。』(民数記13:22)
ネゲブは、主がアブラハムに現れた所であり、またヘブロンといえば、アブラハムがロトと別れた後に、主からさらなる祝福の約束を頂いて、定住した地である。
アブラハムはそこから近いマクペラの洞穴を買い、そこに妻サラを葬った。
そしてそこは、アブラハム・サラだけでなく、イサク・リベカ、ヤコブ・レアも葬られている。
ヘブロンは、アブラハム・イサク・ヤコブゆかりの地、彼らの墓がある土地であるが、その、信仰者が住べき土地には、アナク人という身長2mを超える巨人たちが住んでいた。
『ついに彼らはエシコルの谷に行って、そこで一ふさのぶどうの枝を切り取り、これを棒をもって、ふたりでかつぎ、また、ざくろといちじくをも取った。イスラエルの人々が、そこで切り取ったぶどうの一ふさにちなんで、その所はエシコルの谷と呼ばれた。』(民数記13:23-24)
ここでは、一房のぶどうさえ、大人が二人がかりで担がなくてはならない程、大きかった。
ヨシュアとカレブは、この探り巡ってきた土地を見て、強烈なあこがれを抱いたようである。
主が与えようとしておられた土地は、こんなにすばらしく良い土地だったのだ!
ぜひとも自分達のものにしたい!と。
多くの人達はアナクの子孫の巨大さに怖気づいたが、しかしその巨人達は、85歳の老人の信仰によって、あっけなく倒された。
その老人とは、この斥候部隊の中に加わっていた、エフネの子カレブである。
彼は、斥候部隊としてこの土地を探っていた時は40歳だった。しかしその45年後、彼らは信仰によって進み出て、勝利し、その土地を勝ち取った。
実に、45年もの間この土地を望み見続け、そしてようやく手に入れたのである。
彼が45年も待ちぼうけをくらってしまったのは、斥候部隊の他のメンバーが、ヨシュアやカレブが見るようには見ず、不信仰に陥ってしまったからである。
不信仰に陥ってしまった彼らは、その土地の素晴らしさではなく、敵の巨大さや城壁の堅固さを見、それと自分達の力とを比較してしまったのである。
しかし、ヨシュアとカレブは、確かに敵の巨大さや城壁の堅固さも見たが、それらを主と比較したため、これは楽勝だ、と思ったのだ。
主が「この方面へ行け」と言っておられる時、そこを探る際は、誰と誰を比較すべきかが大事である。
自分と相手を比較すると、罠に陥る。
しかし、主と相手とを比較するなら、平安があり、勝利がある。
信仰者が定住すべき土地には、元々、巨人が住んでおり、まず、それを倒さなくてはならない。
私達も、心の内に邪悪な巨人が住んでいて、それが邪魔をして、安息して生活できなくしている場合がある。
その巨人とは、過去に受けたトラウマであったり、どうしても止められない不健康な習慣であったり、どうしようもない性格であったりする。
しかし、それらに対して怖気づいてはならない。
肉に頼るのではなく、御霊によって望むなら、御霊の圧倒的な破壊力でもって、その敵を打ち破る事が出来るのだ。
『わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。』(2コリント10:3-6 )