メッセージ - 偽りの法廷において(マルコ14:53-65): 礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
偽りの法廷において(マルコ14:53-65): 礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2010-12-30 6:32
礼拝説教メッセージ音声:偽りの法廷において(マルコ14:53-65):韓国語通訳あり(右クリックで保存)
イエスは捕らえられ、最高法院において沢山の偽りの証言が成されるが、いずれも意見が一致しない状況であった。
私達も、偽りの訴えには答える必要は無く、訴えの偽り自身がその訴えた者を滅ぼすからである。
主に委ねている限り、真理に立つ者が最も強いのである。
その場もイエス様が弁明すれば簡単にその場から出る事ができたと思われるが、あえて、わざと有罪になるように行動した。
大祭司の「あなたはキリストか」という質問に「私がそれだ」と応え、さらに明確にメシヤである事を証しした。
大祭司は衣服を裂き、冒涜を聞いて激した事を表現し、死罪の判決を下した。
この者達はイエスのメシヤ表明を、にせメシヤによる冒涜という論法へと持って行き、そして死に定めた。
古今東西、イエスを認めない者は同じ手法でイエスを認めず抹殺し、クリスチャンをも偽り者として抹殺することさえある。
イエスがこの場で取った行動は人の目には愚かに見える。
十字架は滅んでいく者には愚かさそのものだが、救われる者達、信じる者にとっては神の力である。(1コリント1:18)
主の御心はその時には愚かで危なっかしく、弱々しく見えるかもしれないが、人が自分のさとりによらず主に委ねきる時、神の大いなる力が働く機会を得るのである。
自分の全てを手放し御心に委ねる事が十字架であり、十字架の向こうに復活と新しい獲得があるのである。
祈り
私達は主のように法廷に引き出されて主イエスを告白する機会が訪れるのか、分からない。しかしそのような時にも守られますように。
恐れてイエスを3度否んだペテロさえ権威ある者達に大胆に語る者へと創り変えられたように、私達も御霊に覆われてこの時代を生き抜く事ができますように。