メッセージ - 栄光の家系の女達 - ルツ1 七人の息子にも勝る信仰の娘(ルツ記1:1-7)
栄光の家系の女達 - ルツ1 七人の息子にも勝る信仰の娘(ルツ記1:1-7)
第一礼拝・礼拝全体音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
第二礼拝・礼拝説教音声(韓国語通訳有한국어예배):右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
マタイ1章のイエスキリストの系図に名を連ねた3人目の女性・ルツは、ユダヤ人に忌み嫌われているモアブの国の女である。バラムはイスラエルを、モアブの女を使って誘惑させ、堕落させた。(民数記25章)
それでもルツは、栄光の家系として名を連ねるに至った。それは何故か。その秘訣を探って行きたい。
ルツの義理の母にあたるナオミは、ユダヤのベツレヘムで、夫、息子二人に囲まれ、幸せに暮らしていた。
しかしある時、飢饉のためにパンが無くなり、一家揃ってモアブに移住する事にした。
モアブに来て、パンにありつけた当初は、家族内で「来て良かったね」と語り合っていたかもしれない。
しかし結論から言うと、パンを求めて神の国を離れ、異邦の国に来たのが、全ての災いの始まりであった。
ユダヤ人にとって、主の懲らしめから逃げ、「神の国」を捨てて異邦の国にパンを求めて行くのは、もっての外であり、その身にさらなる災いを招いてしまう。それは、神の民たる私達も同じである。
素直に主からの懲らしめを受け、悔い改めていれば、やがて飢饉は去ったのに、この一家は、安易に困難から逃げ出したいばかりに、さらなる災いを受け、一家の主と、息子を全て失ってしまった。
主の懲らしめを受けた時、私達は自分で編み出した脱出方法に頼るべきではなく、主に対して素直になって悔い改め、口をちりにつける(哀歌3章)ならば、主は憐れみ、ちょうど良い時に引き上げて下さる。
主の民から遠く離れ、モアブの野で淋しく取り残されてしまったナオミの所に、神がご自分の民を顧み、パンをお与えになったという、風の便りが届いた。この風の便りは、異邦の国に長らく浸かっていたナオミに、神の国で養われていた幸いな日々を思い起こさせ、「帰っておいで」という主の語りかけとして響いた。
私達も、主からの語りかけを聞いていないだろうか?聞いていながら、敢えて離れていないだろうか?
ナオミは帰るまでに10年もかかり、その間に、夫に先立たれ、息子達にも先立たれてしまった。
私達は何もかも失う前に、主に帰るべきである。放蕩息子も全てを失ってから我に返ったが、自分がいかに弱く、罪深く、神から離れたら何も出来ないのだと「我に返る」所から、回復は始まるのだ。
ナオミもついに、自分が拠り頼むべき所は、主にしかないと悟り、帰る事にした。
「オルパはやがて、しゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツはすがりついて離れなかった。」(14節)
オルパは、自分がナオミと一緒にいる事が彼女にとって苦しみとなると聞き(13節)、ナオミの元を去った。
それは大人の「思いやり」だったのかもしれない。しかし帰って行った先は結局、偶像の神の元であった。
それに対し、ルツは、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神」と言って、まことの神を自分の神とする「信仰告白」をし、ナオミについて行こうとした。
何にも増して真に有益なものは、大人の対応でも人間的な思いやりでもなく、主を信じ告白する事である。
ナオミにとっては10年ぶりの帰郷であったが、それは懐かしさよりも惨めさに満たされたものだった。
ベツレヘムを離れずに主の懲らしめを受けていた友人たちは、口々に「ナオミさんではありませんか」と声をかけ、色々聞いて来たが、彼女にはそれが苦痛で耐えられず、「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを/主はうつろにして帰らせたのです。」(21,22節)と、惨めな思いで返事せざるを得なかった。
人々との交流が苦痛で仕方ない時こそ、一対一で神に向き合い、神に近づくチャンスである。
家族やパンという「快さ」は、いつ「マラ」になってもおかしくはない。神は、ご自身以外のものによって快くなろうとする「ナオミ」は、「マラ」にされ、その代わり、決して色褪せる事のない真の「ナオミ」へと導かれる。
彼女は「うつろにして帰らせた」と言っているが、彼女は七人の息子にも勝るルツを育て上げ、連れ帰った。
ルツは、パンもお金も力も無いが、祝福の器としてナオミに希望と喜びをもたらすようになったばかりでなく、イスラエル全体に祝福をもたらす器となった。ルツの曾孫にダビデが生まれ、イエスキリストが生まれるのだ。信仰によって産んだ娘とは、そのようなものである。
不信仰な男たちに遥かに勝るルツになるための第一ステップは、まことの神を主とする、信仰告白である。
イエスを主として信仰告白し、自分の家族に、国全体に、祝福をもたらす皆さんでありますように!