メッセージ - 口で語った通りの刈り取り(民数記14:26-36)
礼拝説教メッセージ音声:口で語った通りの刈り取り(民数記14:26-36):右クリックで保存
前回の箇所で、主ご自身から直接警告を受けたにもかかわらず、イスラエルの民は、あちらこちらで早速、主につぶやいた。
『主はモーセとアロンに言われた、「わたしにむかってつぶやくこの悪い会衆をいつまで忍ぶことができようか。わたしはイスラエルの人々が、わたしにむかってつぶやくのを聞いた。』(民数記14:26-27)
主の耳は至る所にあり、民が何気なくつぶやくそのつぶやきは、主の耳に向かって直接語るようなものである。
この民、神とモーセ達からの再三の警告にもかかわらず、主に逆らうその性質を、改める事をしなかった。
それで、ついに、二十歳以上の男子は全員、主が入らせようとした約束の地には入れず、荒野で死体としてて倒れてしまう事が、確定してしまった。
「わたしは生きている。あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。」(民数記14:28-29)
また、彼らの子の世代は、荒野を四十年放浪する事が確定してしまった。それは、親の「不信の罪を負う」ためである。(同33節)
モーセ五書をおおざっぱに説明する時、「主は、イスラエルの民の不信仰のため、荒野で四十年間放浪させ、エジプトを出た世代は誰も約束の地に入れず、荒野で死んでいった」のように、要点だけの説明がされるため、あたかも、主は、人が少しでも罪を犯したら、すぐにでも厳しい罰を下されるかのような印象がある。
しかし、ひどいのは主ではなく、逆らってきた人間のほうである。
主はどれ程、民の悪行を忍耐され、それでも彼らに必要なものを満たされ、罪を赦されて来たか、それに対し、民はいかに調子に乗って、主とモーセに逆らってきたか、今まで学んで来た皆さんは、見てきただろう。
『あなたは彼らに言いなさい、『主は言われる、「わたしは生きている。あなたがたが、わたしの耳に語ったように、わたしはあなたがたにするであろう。あなたがたは死体となって、この荒野に倒れるであろう。あなたがたのうち、わたしにむかってつぶやいた者、すなわち、すべて数えられた二十歳以上の者はみな倒れるであろう。』(民数記14:28-29)
人は、そのくちびるで語った事の、刈り取りをしなければならない。
彼らは実際、自分達はこの荒野やエジプトで死んでいたほうがましだった、と、つぶやいたが(民数記14:2)、果たして、その通りになった。
自分の妻や子はさらわれてしまう、と彼らは言ったが、彼らの妻子を、不信仰な言葉の通りにするような事を主はされず、かえって、その子達の世代が、約束の地を受け継ぐようにされた。
『人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。』(箴言18:20-21)
『愚かな者のくちびるは争いを起し、その口はむち打たれることを招く。愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分を捕えるわなとなる。人のよしあしをいう者の言葉は/おいしい食物のようで、腹の奥にしみこむ。』(箴言18:6-8)
まことに、口はわざわいのもである。
箴言には、愚か者でも黙っていれば賢く見えると記されているが、ただ、口を慎んで黙っているという、それだけで、人生が大きくプラスに転じるような人は、結構多いのではないだろうか。
荒野で滅んでいった世代をよく見ていたヨシュアは、「無駄口をきかない事」がいかに大切であるかを、よくわきまえていた。
『ヨシュアは民に命じて言った、「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。』(ヨシュア記6:10)
ヨシュアは、大切な戦いの時に、口から言葉を出してはならないと命じて、黙らせた。
もし黙らせていなかったら、民の中に、「こんな意味不明な行動に、何の意味があるのだろう」などと、つぶやきが蔓延していたかもしれない。
ヨシュアは、つぶやきの蔓延を防ぎ、見事、民全体を信仰の勝利へと導いたのだ。
ヨシュアとカレブは、主を信じて従い通し、最後には、彼らの口が告白した通り、約束の地を継ぐ者となり、また、継がせるために導く者となった。
真理の御言葉を信仰をもって語り、祝福の言葉を語り、そのくちびるの良き産物で満ち足りる皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!