メッセージ - 後のものを忘れ前のものへ(ピリピ3:12-16):礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
後のものを忘れ前のものへ(ピリピ3:12-16):礼拝説教メッセージ音声 韓国語通訳あり
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約)
- 執筆 :
- pastor 2010-12-31 6:26
礼拝説教メッセージ音声:後のものを忘れ前のものへ(ピリピ3:12-16):韓国語通訳あり(右クリックで保存)
パウロはイエス様を知った事があまりに素晴らしいので、それ以外のものは糞土のようだと言った。(8節)
普通人よりも、はるかに苦難を受け、はるかに素晴らしい啓示や幻も見てきたパウロが、ピリピの人々に言った事は、オレはここに到達した、だからお前達もここを目指してついてこい、ではなく、自分達が到達した所に基づいて歩むべき、という事だった。(16節)
イエス様がパウロを捕らえたように、私達も既にイエス様によって捕らえられた。
救いは既に成就しているのだが、パウロが目標を目指して進んでいるように、私達も「後ろのものを忘れ、前のものへと身を伸ばしつつ、目標を目指して追い求める」(14節 岩波訳)べきである。
私達は肉体を持っている限り、上にあるもの、すなわちキリストを求めて歩むべきである。
私達は地上において時間に束縛され、今日も古い一年が過ぎ去ろうとしている。
苦労はその日その日に十分あり、明日についての心配は無用である。なぜなら私達は常に、神様におんぶされて歩んでいるからだ。
明日という言葉には「空中」という意味が含まれており、その空中には邪悪な思念が住んでいる所である。(エペソ2:2)
明日について思い煩う事は、空中に思いを馳せる事であり、悪い思念に支配されやすいが、イエスに思いが満たされて明日を生きるなら希望がある。
イエス”なし”の空中は汚れた所であるが、イエス”あり”の空中は天国なのである。
天の御国においては永遠の「今」がある。
私達が意識をおくべきは、昨日でも明日でもなく「今」である。
今日もたんたんと、キリストにおける神の上への召しという賞を目指して生きていきたい。
私達は一人頼りなく生きているのではない。
永遠というファインダーから覗いて見れば、私達は見えないお方によって背負われて歩んでおり、たとい白髪になってもそのお方は背負う。(イザヤ46:4)
とこしえに生きておられる真の父に背負われ、希望を持って進むみなさんでありますように!