メッセージ - 栄光の家系の女達 – ルツ2 信仰をもって畑に飛び込め(ルツ記2:1-3)
栄光の家系の女達 – ルツ2 信仰をもって畑に飛び込め(ルツ記2:1-3)
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週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存
ルツがイスラエルに初入国した時、彼女は、モアブ出身の一介の未亡人で、頼るべき男手も、財産も一切無い、一緒にいるのは、ただ傷心に沈んでいる、年老いた姑のナオミだけという人生を歩み出すには、あまりにも不利な条件が揃いすぎている状況であった。
しかし彼女は、偉大な王・ダビデの曾祖母となり、全世界を祝福へ導くイエスキリストの母として名を連ねた。
私達もルツのように、栄光の家系へと加えて頂く事が、可能である!
たとい当時のルツのように、弱く頼り無くても。いかに、人生を生きるには不利な条件ばかり揃っていても。
ルツ達は、大麦の刈り入れの時期にベツレヘムに着いた。落ち穂拾いが出来るのは、刈り入れた日から一、二週間ほどの短い期間で、ルツ達は、それが出来るちょうど良い時期に、ベツレヘムに着いた。
困難な状況の中でも、主が与えて下さった、ちょうど良いタイミング。しかしナオミは、落ち穂拾いには行けなかった。誰かの畑に入って落ち穂を拾わなくてはならないまでに落ちぶれてしまった自分を、昔ながらの知り合いの前に、晒したくなかったのだろう。しかしルツは、イスラエルの神が定めて下さった「落ち穂拾い」という憐れみにすがり、取るものも取り敢えず、落ち穂を拾うために、どこかの畑に飛び込んだ。
信仰が萎え果て、何も出来なくなった時でも、信仰によって育てた霊的な娘が助けてくれるのである。
外国人の彼女が、他人の畑に入り、人が取りこぼした落ち穂を拾い集める。それは、どれほど恥をしのぶ行為だっただろう。それでも彼女は、ただ謙虚に、膝をかがめて、憐れみにすがった。
私達も、「恵み」という 落穂を拾うには、謙虚に膝をつき、低くかがむ事によって、拾う事が出来る。
困った状況に陥った時、「自分は大丈夫だ」「人の憐れみなどいらない」などと、やせ我慢をしてしまうと、そのプライドが、逆に自分の首を締め、ますますどうにもならない状況へと、追い詰められてしまう。
主の恵みを頂くには、まず「誇り高さ」や「自尊心」は、打ち砕かれていなくてはならない。
主は憐れみ深い。どんなにそしりを受けても、口をちりにつけて主の救いを黙って求めるなら、主はいつまでも見放してはおられず、豊かな恵みによって憐れんでくださるのだ。(哀歌3:22-32)
ルツも、ラハブ同様、まず信仰告白によって神の民に加えられるチケットを手に入れた。
パーティーのチケットを手に入れたなら、その会場に実際に行って使わなければ、そのチケットの恩恵に預かれないように、信仰告白によって手にした「天のパーティーチケット」を「使う」には、恵みが落ちている畑へと実際に行き、その中に飛び込み、落ち穂拾いをしなければならない。
ルツは思い切って刈り入れをしている一つの畑に飛び込んだが、「そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。」(2:3)ルツは、それとは知らずに飛び込んだのだが、単なる偶然ではない。
ルツがこの畑に飛び込んだのも、ダビデがゴリアテに致命傷を負わせる石を放ったのも、一人の兵が悪王アハブに致命傷を負わせる矢を放ったのも、それら全ては、「何気なく」であったが、主は人や環境、状況の「何気なく」を支配して御心を行い、信仰を持って第一歩を踏み出す人に、恵みを与えて下さる。
しかし、思い切って畑に飛び込まない者、石を投げない者、弓矢を引かない者には、何も下さらない。
ルツがたまたま飛び込んだボアズの畑は、私達が頼りとした主・イエス様が支配される神の国のようであり、ボアズは、私達を買い取ってくださるイエス・キリストの雛型である。私達も、それまでの自分中心の生き方を捨て、イエス様を主とし、神様を中心とした新しい生き方へと飛び込むなら、「選ばれた種族、王族の祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」(1ペテロ2:9)へ加えられるのである。
この世の営みは、落ち穂を拾うようなものかもしれない。仕事も、家事も、恥を忍ぶ日々である。
しかし、イエス様を主として、「神の国」にいる限り、恵みは落穂のように、必ず落ちている。
いかに不利な条件が揃いすぎている状況であっても、信仰告白によって、天の王国のパーティーチケットを入手し、信仰によって畑に飛び込んでそのチケットを「使い」、そして、謙虚に恵みをいただく「落穂拾い」によって、主から豊かな恵みをいただき、地上においては家族をしっかり養い、天を故郷とする栄光の家系へと加えられる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!