メッセージ - コラ達の反逆(民数記16:1-4)
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『ここに、レビの子コハテの子なるイヅハルの子コラと、ルベンの子なるエリアブの子ダタンおよびアビラムと、ルベンの子なるペレテの子オンとが相結び、イスラエルの人々のうち、会衆のうちから選ばれて、つかさとなった名のある人々二百五十人と共に立って、モーセに逆らった。』(民数記16:1-2)
今まで幾度か、主とモーセに対する反逆は、幾度かあったが、いずれも、肉が食いたいと泣き喚きちらすとか、主に示された事を「いやだ」と言って一晩中泣き明かすなど、幼稚で、直情的・原始的なものだった。
しかし今回の反逆は、知的で、計画的で、裏で手を回し有力者を味方につけるなど、組織的・政治的である。
コラは、ケハテ族のレビ人で、彼らは聖所の最も聖なる祭具を運ぶべき任を負っている。(民数記4章)
とは言っても、彼らがいつも運んでいる聖所の祭具は、彼らは一生、見ることは出来ない。
なぜなら、それらの祭具は、アロンとその子達のみが扱う事を主から許されており、ケハテ族が運搬する際には、アロンとその子らが、あらかじめ青布やじゅごんの皮で梱包してからでないと、運べないからだ。
聖所の祭具は、純金がふんだんに使われているため、とても重い。
だから、ケハテ族のレビ人は、自分達が運んでいるその中身を見ることは出来ず、ただ、じゅごんの皮で梱包された”重たい物”を、担いで運ばなくてはならない。
それだから、コラはもしかしたら、自分が担当しているの奉仕を、きつく、つまらない、日の目を見ない作業として、見ていたかもしれない。
モーセやアロンは、自分と同族のケハテ族なのに、彼らだけが、人の上に立って目立ち、聖所にも出入りする事が出来、民の捧げ物のうちから取り分もある。
それに引き換え、自分達は・・・と。
現代を生きる、神の働き人たちも、同様の罠に陥りやすい。
こんな、じゅごんの皮のような、つまらない信徒たちを、毎日霊的に背負って運ぶのは、重くてきつい。日の目を見ない奉仕だ、と。
しかし、忘れてはならない。
いかにじゅごんの皮のように、見栄えせず、つまらない人に見えても、イエス・キリストにある信徒であるからには、その中身は、イエス様をお入れする尊い神の器である事を。
そして、彼らを霊的に担うその奉仕は、主の御前に、とても尊い奉仕である事を。
コラは、自分がどれ程栄光ある奉仕を担っているのか、忘れていた。
『彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らって言った、「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」。』(民数記16:3)
この言い分は、尤もらしく聞こえる。
「全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられる」、民主的に聞こえるし、プライドを刺激する言葉である。
二五〇名の有力者たちも、その言葉に刺激を受けたのだろう。
神が立てた権威を引きずり下ろし、自分を高く引き上げよう、という性質は、サタンの性質と同じ「高ぶり」であり、罰されるべき反逆の罪である。
『あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。』(ユダ5-6)
自分達のおるべき地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った使いへの裁きは、暗闇に落とされ、そこに永遠に縛られ閉じ込められる事であったが、コラたちも反逆する事を止めなかったために、後には同じ裁きを受ける事になってしまう。
モーセはコラの反抗に対し、知力や雄弁さで対抗するでもなく、それまで培ってきた政治的な手腕を用いるでもなく、真っ先に、主の御前にひれ伏した。(民数記16:4)
ひれ伏す。それは人の目には愚かで、弱々しく、みっともなく見える。
しかし、主にひれ伏す姿勢こそ、人には愚かでも、主の御前には最も偉大な態度である。
彼は、反逆の民と面と向かって反論せず、真っ先に主に向かい、主に訴えた。
それが、全ての解決の近道であり、主は結局彼を守り、彼の側について下さる。
『わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。』(黙示録3:8-9)