メッセージ - 差し伸べられた憐れみを踏みにじる者達(民数記16:12-24)
礼拝説教メッセージ音声:差し伸べられた憐れみを踏みにじる者達(民数記16:12-24):右クリックで保存
モーセはコラに穏やかに諭したように、ダタンとアビラムを呼んで、彼らも同じように諭そうとしたのであろう。
しかし彼らは、モーセの呼びかけを無視し、対話を拒絶したばかりでなく、悪辣な言葉を返して来た。
『モーセは人をやって、エリアブの子ダタンとアビラムとを呼ばせたが、彼らは言った、「わたしたちは参りません。あなたは乳と蜜の流れる地から、わたしたちを導き出して、荒野でわたしたちを殺そうとしている。これは小さいことでしょうか。その上、あなたはわたしたちに君臨しようとしている。
かつまた、あなたはわたしたちを、乳と蜜の流れる地に導いて行かず、畑と、ぶどう畑とを嗣業として与えもしない。これらの人々の目をくらまそうとするのですか。わたしたちは参りません」。』(民数記16:12-14)
彼らはなんと、エジプトを「乳と蜜の流れる地」と呼び、モーセはそこから人々を導き出して、荒野で殺そうとしている、と言っている。
おそらく、モーセがよく口にする「乳と蜜の流れる地」という言葉を嘲って言ったのだろうが、主を恐れぬ、極めて悪どい言葉である。
彼らはまた、「あなたはわたしたちを、乳と蜜の流れる地に導いて行かず、畑と、ぶどう畑とを嗣業として与えもしない。」と言っているが、そもそも、乳と蜜の流れる地に、すんなりと入れなくしてしまったのは、ダタンたちルベン族の代表をも含めた10人の斥候たちだったのではなかったか。
モーセはこの悪辣な返事に激しく怒り、「彼らの供え物を顧みないでください。わたしは彼らから、ろば一頭をも取ったことなく、また彼らのひとりをも害したことはありません。」と、主に申し立てている。(民数記16:15)
ダタンとアビラムは、自らモーセとの対話を拒否し、モーセの執り成しの心を踏みにじったのである。
モーセは、誰が主に選ばれた者であるかは、主に聞こうではないか、と、次のように申し出ている。
『あなたとあなたの仲間はみなアロンと一緒に、あす、主の前に出なさい。あなたがたは、おのおの火ざらを取って、それに薫香を盛り、おのおのその火ざらを主の前に携えて行きなさい。その火ざらは会わせて二百五十。あなたとアロンも、おのおの火ざらを携えて行きなさい。』(民数記16:16-17)
コラは、ダタンとアビラムと違い、モーセのさとしを聞いただけ、まだましだった。
この時点でモーセの言うとおりにして、主が示された結果に、素直に従順していれば、まだ穏便に済まされていたかもしれない。
しかし、彼が取った次の行動で、コラの裁きも確定してしまう。
『彼らは、おのおの火ざらを取り、火をその中に入れ、それに薫香を盛り、モーセとアロンも共に、会見の幕屋の入口に立った。そのとき、コラは会衆を、ことごとく会見の幕屋の入口に集めて、彼らふたりに逆らわせようとしたが、主の栄光は全会衆に現れた。』(民数記16:18-19)
彼らは、祈りの香を手にして、主の御前に出ているにもかかわらず、なんと、会衆のほうに向き直り、モーセとアロンに逆らわせようと扇動したのである。
こうしてコラも、モーセの親身な諭しを、踏みにじった事になる。
主に祈りの香を捧げるべき献身者が、主から顔を背け、人々の栄誉を受けようと向き直り、祈りを捧げるべき聖なる場所で、汚れた動機をもって神のしもべに争いを仕掛ける事は、とんでもない災いをもたらす行為である。
『「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼすであろう」。彼らふたりは、ひれ伏して言った、「神よ、すべての肉なる者の命の神よ、このひとりの人が、罪を犯したからといって、あなたは全会衆に対して怒られるのですか」。
主はモーセに言われた、「あなたは会衆に告げて、コラとダタンとアビラムのすまいの周囲を去れと言いなさい」。』(民数記16:21-24)
モーセは今回の反逆で、かなり面目を貶められ、今までになく怒ったが、それでもなお、執り成すためにひれ伏した。
それで会衆一同は滅ぼされずに済んだが、しかし、コラとダタン、アビラムへの裁きは、確定してしまった。
彼らは、最後まで神が立てられた権威に逆らい、主を無視して、人々からの栄誉を求めたからだ。
彼らも、出エジプト以来の長い間、主の栄光と素晴らしさ、そして恐ろしさを、幾度も見てきたであろうに。
また、そんな事をすれば恐ろしい裁きが待っている事は、今までの経緯を見て、いい加減学習していても良さそうなものだろうに、と思うかもしれない。
しかし、頭の中が、自分のやりたい事でいっぱいだと、そこまで物事が見えなくなってしまうものである。
私達は、災いに遭わないために、思いの中ではいつも自分を降ろし、主の御心に聞く「ゆとり」を、いつでも持っているべきである。