メッセージ - 悪い意味での記念の物(民数記16:36-40)
礼拝説教メッセージ音声:悪い意味での記念の物(民数記16:36-40):右クリックで保存
『「あなたは祭司アロンの子エレアザルに告げて、その燃える火の中から、かの火ざらを取り出させ、その中の火を遠く広くまき散らさせなさい。それらの火ざらは聖となったから、罪を犯して命を失った人々の、これらの火ざらを、広い延べ板として、祭壇のおおいとしなさい。これは主の前にささげられて、聖となったからである。こうして、これはイスラエルの人々に、しるしとなるであろう」。』(民数記16:38)
エルアザルにとって、この命令は、かなり強烈なものであったろう。
焼き滅ぼされた250人の死体が、まだそこここでくすぶっている所に入って行き、彼らが手にしていた火皿を250個、取り集めよ、というのだから。
彼は二人の兄も、同じように亡くしている。
きっと彼は、子に、孫に、くれぐれも主の前に分を超えて思い上がってはならない、と、きつく教育しただろう。
実際、エルアザルの子ピネハスは、素晴らしい信仰の行いをした。(民数記25章)
『そこで祭司エレアザルは、かの焼き殺された人々が供えた青銅の火ざらを取り、これを広く打ち延ばして、祭壇のおおいとし、これをイスラエルの人々の記念の物とした。これはアロンの子孫でないほかの人が、主の前に近づいて、薫香をたくことのないようにするため、またその人がコラ、およびその仲間のようにならないためである。すなわち、主がモーセによってエレアザルに言われたとおりである。』(民数記16:39-40)
いかに反逆した者達が捧げたものとはいえ、彼らが捧げたものは聖となり、それらはイスラエルの記念として、祭壇のおおいとして用いられた。
イスラエルの人達は代々、何百年も、その祭壇のおおいを見ては「これがコラと共に主の権威に逆らった、あの250人の火皿か」と、恐れおののいただろう。
しかし、後の時代には、祭司でないのに不遜にも香を捧げようとした王がいた。ウジヤ王である。
彼は最初は、主を敬う良い王だった。
それで祝福され、周辺諸国との戦争に勝ち、内政を充実させ、その名声は大いに広がった。
『ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。すなわち彼はその神、主にむかって罪を犯し、主の宮にはいって香の祭壇の上に香をたこうとした。』(2歴代誌26:16)
それを祭司アザリヤに「主に香をたくことはあなたのなすべきことではなく、ただアロンの子孫で、香をたくために清められた祭司たちのすることです。すぐ聖所から出なさい。あなたは罪を犯しました。あなたは主なる神から栄えを得ることはできません。」と戒められると、ウジヤは激しく怒り、香炉を手にとって香をたこうとしたが、そのとたん、らい病(ツァラアト)が彼のひたいに現れた。
『ウジヤ王は、死ぬ日までらい病人であった。彼はらい病人であったので、離れ殿に住んだ。主の宮から断たれたからである。』(同21節)
ウジヤ王も、コラも、共通している事は、主の御前に自分の分ではない礼拝を捧げようとし、それをひと度戒められ、正しい道の何であるかを示されたのに、戒めに対して怒り、あざけり、無視し、あくまで自分を押し通そうとしたとたん、主のさばきが降った事だ。
『わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。』(ローマ12:3)
コラやウジヤ王のように、悪い意味で記念となり、その名が永遠に記される者もいるのだ、という事を、忘れてはならない。
イエス様の葬りの整えのために、高価なナルドを捧げたベタニアのマリヤは、その行いが永遠の記念とされたが、彼女のように、従順の行動が主の御前に覚えられ、永遠の記念として残る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!