メッセージ - つぶやき - 一万四千七百人が倒れた災いの元凶(民数記16:41-50)
つぶやき - 一万四千七百人が倒れた災いの元凶(民数記16:41-50)
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- 執筆 :
- pastor 2013-10-3 20:40
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『 その翌日、イスラエルの人々の会衆は、みなモーセとアロンとにつぶやいて言った、「あなたがたは主の民を殺しました」。』(民数記16:41)
前回、あれだけの主の恐ろしさを垣間見ながら、また、主が立てられた権威者であるモーセとアロンに逆らった者に対する、あれだけの恐ろしい罰を見ながら、なんと、翌日から早速つぶやきはじめている。
しかも、彼らはみなモーセとアロンが殺した、と言っているのだ。
一体、モーセとアロンが大地を裂けさせて逆らう者達を突き落としたとでも言うのだろうか。一体、モーセとアロンが火炎放射器のようなものでで250名を焼き殺したとでも言うのだろうか?
あれだけ明確に「主が為された」のに、民はなお主を見ず、主を無視し、モーセとアロンに言い逆らう。
主の警告と主の存在を無視したような、度重なる民の不従順を、主はそのまま見過ごしにはされない。
『会衆が集まって、モーセとアロンとに逆らったとき、会見の幕屋を望み見ると、雲がこれをおおい、主の栄光が現れていた。モーセとアロンとが、会見の幕屋の前に行くと、主はモーセに言われた、「あなたがたはこの会衆を離れなさい。わたしはただちに彼らを滅ぼそう」。そこで彼らふたりは、ひれ伏した。』(民数記16:42-44)
民が主を怒らせ、主が民を滅ぼそうとし、そのたびに、モーセとアロンがひれ伏して取り成す。
もう幾度、このパターンを見ているだろうか。
それ程に、民の愚かさは根強く、それ程にモーセとアロンの取り成す心は深い。
『モーセはアロンに言った、「あなたは火ざらを取って、それに祭壇から取った火を入れ、その上に薫香を盛り、急いでそれを会衆のもとに持って行って、彼らのために罪のあがないをしなさい。主が怒りを発せられ、疫病がすでに始まったからです」。』(民数記16:46)
今までのパターンなら、主が「滅ぼす」言っても、モーセがすぐに執り成し、主はそれで災いを留められていたが、今回、モーセが執り成す間も無く、すぐに災いが始まっている。
このままでは、民全体はじきに滅ぼされてしまう。
そこでモーセは、アロンに命じたのだ。
『そこで、アロンはモーセの言ったように、それを取って会衆の中に走って行ったが、疫病はすでに民のうちに始まっていたので、薫香をたいて、民のために罪のあがないをし、すでに死んだ者と、なお生きている者との間に立つと、疫病はやんだ。』(民数記16:47-48)
大祭司アロンは、祈りの香、宥めの香りを持って、走って行った。
アロン自身を悪しざまに罵った、当の本人達を、救うために。
自分も疫病に打たれてしまうかもしれないリスクを顧みず、執り成しに行くために、死んだ者と生きている者との間へと走っていった。
この大祭司アロンの行動は、私達の大祭司である主イエス・キリストの有り様を示している。
主は、そむいた私達を救うために、天から降りて来られ、罪とがの中でもがいている私達の中に飛び込んで来られ、死んだ者と生きている者との間に立ち、父なる神に執り成しておられる。
主は、私達にも、祭司として執り成し祈る事を求めておられ、罪とがの故に滅ぼされていく人々の間に立ち、祈りの香を立ち上らせる事を求めておらる。
もし、執り成し祈る人がいないとしたら、主はその所を滅ぼしてしまう。
『わたしは、国のために石がきを築き、わたしの前にあって、破れ口に立ち、わたしにこれを滅ぼさせないようにする者を、彼らのうちに尋ねたが得られなかった。それゆえ、わたしはわが怒りを彼らの上に注ぎ、わが憤りの火をもって彼らを滅ぼし、彼らのおこないを、そのこうべに報いたと、主なる神は言われる」。』(エゼキエル22:30-31)
それ故、キリストにあって祭司として任命された私達も、国のために、置かれている会社や環境のために祈るべきであり、それによって、私達が遣わされている所は清められ、守られるのである。
『コラの事によって死んだ者のほかに、この疫病によって死んだ者は一万四千七百人であった。アロンは会見の幕屋の入口にいるモーセのもとに帰った。こうして疫病はやんだ。』(民数記16:49)
イスラエルの全会衆が六十万ほどであるから、今回の災いで、およそ四十人に一人が死んだ割合になる。
民はなんと頑なで、聞かず屋であろうか。
私達はこれらの事に戒めを受け、頑なになったり、つぶやいたりして滅ぼされる事の無いように気を付けるべきである。
『彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。・・・
また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。』(1コリント10:5-12)