メッセージ - 芽を出したアロンの杖(民数記17:1-11)
礼拝説教メッセージ音声:芽を出したアロンの杖(民数記17:1-11):右クリックで保存
古今東西、人々の上に立つ人は、どんなに完璧であっても、謙遜であっても、人々からの攻撃が絶えないものであるが、主は、アロンこそ、主が立てた大祭司である事を誰も反論できないように「しるし」を与えられた。
『「イスラエルの人々に告げて、彼らのうちから、おのおのの父祖の家にしたがって、つえ一本ずつを取りなさい。すなわち、そのすべてのつかさたちから、父祖の家にしたがって、つえ十二本を取り、その人々の名を、おのおのそのつえに書きしるし、レビのつえにはアロンの名を書きしるしなさい。父祖の家のかしらは、おのおののつえ一本を出すのだからである。そして、これらのつえを、わたしがあなたがたに会う会見の幕屋の中の、あかしの箱の前に置きなさい。
わたしの選んだ人のつえには、芽が出るであろう。こうして、わたしはイスラエルの人々が、あなたがたにむかって、つぶやくのをやめさせるであろう」。』(民数記17:2-5)
生物の「木」としてのいのちは死んでいる「杖」から、いのちが吹き出す。
この「死からの復活」を「しるし」とし、アロンこそ、神が直接任命した大祭司である事を人々に示すのだ。
死からの復活を、神の権威のしるしとする。
そのしるしは、創世記から黙示録に至るまで、聖書の随所にある。
神は、生物的には死んだも同然のアブラハムから、いのちを起こされた。
百歳の男と、九十歳の女との間から、いのちが生まれる。それはまさしく、神が働かれたとしか思えない。
この、死の中から生まれ出たイスラエル民族こそ、神の選ばれた民であると、人類は知るのだ。
イスラエル民族は、幾度も、他民族の虐待によって滅亡の危機に陥った。古くはエジプトにはじまり、バビロン捕囚やユダヤ戦争、近年のホロコーストなど、民族滅亡の危機が幾度も訪れたが、それでも生き残っている。これは他の民族では、考えられない。
全能なる神が働いて、守っているとしか、考えられない。
『その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどう(アーモンド)の実を結んでいた。』(民数記17:8)
果たして、モーセとアロンが一晩掛けて、精巧にアーモンドそっくりの模造品をこしらえたのだろうか?
いや、現代の技術をもってしても、本物の命と見まごうような物を作り出す事は出来ない。
偽物の命であったら、すぐに分かってしまうものだ。
人は、いのちを造り出す事も、模造する事さえも出来ないし、まして人は、死んだいのちをよみがえらせる事など、できない。
人類は古くからそれを願い、努力し求めて来たが、未だにそれには至っていない。
いのち。それは神にしか出来ない作品であり、死からの復活こそ、神のあかしである。
『主はモーセに言われた、「アロンのつえを、あかしの箱の前に持ち帰り、そこに保存して、そむく者どものために、しるしとしなさい。こうして、彼らのわたしに対するつぶやきをやめさせ、彼らの死ぬのをまぬかれさせなければならない」。』(民数記17:10)
人々は、この新しく息吹いたいのちを見て、アロンこそ、神が選ばれた祭司だと、認めざるを得なかった。
それでも逆らう民はいたが、神が「死と復活」のしるしを示し、認定された以上、それに逆らうとしたら、もはや弁解の余地は無く、その者は、死を免れる事は無い。
死と復活。これこそ、神が選んだ事のしるしであり、神が最も顕著に示した「死と復活のしるし」は、イエス・キリストの十字架である。
神は、杖という木からいのちが芽吹く事によって、アロンこそ、神が認定された祭司である事を示された。
同じように、十字架という木の死から復活したキリストこそ、唯一まことの大祭司であると、神は示されたのであり、それを否定する者には弁解の余地なく、滅びが待っている。
主は、いのちが息吹かれたアロンの杖を、あかしの箱の前に持ち帰りなさい、と言われた。
あかしの箱の中には、次の三点のものがある。すなわち、マナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板である。(ヘブル9:4)
これら三種は皆、神ご自身の手による、人々への「あかし」である。
契約の石板は、神の指によって記された、神から人への言葉、御言葉であり、マナのはいっている金のつぼは、天から与えられた神からの食物、神からのいのちの養いであり、芽を出したアロンのつえは、神が公認した祭司のしるし、それも、死と復活による祭司のしるしである。
これら”三種の神器”は、全て、キリストをあかししている。
契約の石板は、天から降った御言葉であるキリストをあかしし(ヨハネ1:1-14)、マナのはいっている金のつぼは、天から降ったまことの食物であるキリストをあかしし(ヨハネ6:47-51)、芽を出したアロンのつえは、神が公認した祭司、それも、死と復活を経た大祭司であるキリストをあかししている(ヘブル5:1-10)。
復活のいのち。それこそ、神のあかしである。