メッセージ - 栄光の家系の女達 - ルツ5 買い戻して下さる方(ルツ記4章)
栄光の家系の女達 - ルツ5 買い戻して下さる方(ルツ記4章)
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ルツやナオミの家を買い取る人が、ボアズとなるかどうかは、第三者の判断次第となり、この問題は一旦、ルツやナオミの手を離れて、全能なる主の采配に委ねるしかなくなった。
ナオミはルツに、この事がどうなるか分かるまで、落ち着いて信頼するように言い、さらに、「あの人は、きょう、その事を決定しなければ落ち着かないでしょう」(ルツ3:18) とも言った。
あの人は、きょう、その事を決定する・・・。彼女達は確かにこの問題をどうする事も出来ない。しかし「あの人」が、この問題の解決のために、動いて手続きしてくれる。
私達も、ルツのように、信仰の先輩に言われた通りに主イエス様の元に行き、自分が主のはしためである事を告白し、主の救いの衣の内に入らせて下さいと願うなら、主はそれを喜んで下さり、私達が納まるべき所へと納まるまで、全ての算段を整えて働いて下さるのだ。
ボアズは早速、正式に手続きするために、その親類の人と、さらに町の長老10人を呼び寄せた。
かの親類は、畑の買い戻しは自分がする、とは言ったものの、ルツと結婚しなくてはならない事も聞くと、それは出来ないと拒んだ。そもそも、買戻しの話は、買戻す側にとって、デメリットしか無いような話である。
ヨベルの年までの年数に従ったレートでその畑を買い戻すのだが、その畑は、自分のものとはならない。
生まれてくる最初の男の子に、死んでしまった親類の名を継がせ、その畑は、その子のものとなるのだ。
『そこで親戚の人がボアズにむかい「あなたが自分であがないなさい」と言って、そのくつを脱いだ』(7節)
主は、アブラハムやヨシュアに「あなたの足の裏で踏む所は、ことごとく与えた」と言ったが、靴を脱いで相手に渡す事は、その土地を踏み歩く権利を、相手に渡した事を象徴するものであり、イスラエルにおいては、買戻しの権利を譲渡する事の、正式な証明方法である。
だから、妻とすべき女性をめとる事を嫌がって「くつを脱がされた者の家」(申命記25:10)と烙印を押される事は、イスラエルの土地を踏み歩く権利を脱がされた者として、かなりの恥辱となる。
実際ルツ記は、オルパという脇役女性の名さえ記されているのに、この親類の名は、一切記されていない。
栄光の家系を受け継ぐ人とは、物質的・肉的な相続を優先させる者ではなく、信仰によって身寄りのない人を養い、御言葉を実践する人である。
飢えた人にパンを分け与え、貧しい人々を家に入れ、裸の人に着せ、肉親の世話をするなら、暁のように光がさし出で、傷はすみやかに癒され、絶えず主に導かれ、焼けつく土地でも、思いは満たされ、骨は強くされ、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。(イザヤ58:6-12)
「わたしはマロンの妻であったモアブの女ルツをも買って、わたしの妻としました。」(ルツ記4:10)
ボアズがルツを買った事、それは、私達のボアズであるイエス様が、私達を買って下さる事を表している。
世の何者も、私達を買い取る事は無い。私達を買い取るメリットなど無く、ただ重荷にしかならないからだ。
しかしイエス様は、私達を買い取って下さった。何のメリットも無いのに。それどころか、自分のいのちを投げ出さねばならぬという「究極のデメリット」しか無いのに。それは、ただ、大きな愛の故である。
こうしてボアズは、神と人とに祝福されつつ、正式にルツをめとり、主は、ルツに男の子を授けて下さった。
律法によるなら、本来、この子の名はマフロンとなるはずだが(申命記25:6)、なぜか女たちはその子を「オベデ」と呼んだ。(ルツ記4:17)
ルツの亡夫「マフロン」の名には「大きな欠点」「病弱」という意味があるが(ちなみにオルパの夫キルヨンは「浪費する」「消え失せる」の意味)、「オベデ」という名には「仕える」「僕」という意味がある。
私達の家を絶やさない責任のある人に、大きな欠点があったり、病弱であってりするなら、困るだろう。
あいにく、世の人は、罪という病の故に欠点があったり弱かったりして、その責任は果たせないが、父なる神の忠実なるしもべであるイエス様は、その責任を、完全に果たす事がおできになる。
ルツの子オベデは、ナオミの老後を養う者となり、その子孫から、偉大な王ダビデが、そしてキリストが出た。
同じように私達も、信仰によってイエス様を内に宿し、信仰によって生んだ霊的な子孫たちは、後に私達を養い、キリストの花嫁として、神の教会(エクレシア:召し出された者達)として、共に完成されて行くのだ。