メッセージ - 大祭司アロンの死(民数記20:22-29)
礼拝説教メッセージ音声:大祭司アロンの死(民数記20:22-29):右クリックで保存
イスラエルがエジプトを脱出する以前から、ずっとモーセと共に働いて来た、あの大祭司アロンが、いよいよ死ぬ時が来た。
『主はエドムの国境に近いホル山で、モーセとアロンに言われた、「アロンはその民に連ならなければならない。彼はわたしがイスラエルの人々に与えた地に、はいることができない。これはメリバの水で、あなたがたがわたしの言葉にそむいたからである。あなたはアロンとその子エレアザルを連れてホル山に登り、アロンに衣服を脱がせて、それをその子エレアザルに着せなさい。アロンはそのところで死んで、その民に連なるであろう」。』(民数記20:23-26)
イスラエルがエジプトを出て、四十年目の一月には、ミリアムが死に、第五の月一日にアロンが死に、そして、同じ年の内に、モーセも同様に先祖の民の元へと集められる事になる。
走るべき道のりを走り終えて、定められたいのちを全うした人は、「連なるべき所」へと集められ、古きは過ぎ去って行き、そうして世代は新しくなって行く。
この事を見る時、虚しさや悲しさを覚えるかもしれないが、彼ら神の民が行く先は、どういう所か。
この「先祖の民に連なる(口語訳)」「先祖の列に加えられる(新共同訳)」「shall be gathered unto his people (KJV)」という独特の言葉は、アブラハムやイサク、ヤコブ、ヨセフが死ぬ時も用いられている。
神の民が連なる先、そこには、アブラハムがおり、イサクも、ヤコブもいる所、天の大祝会であり、私達の主・イエス様が、その祝会の主人である。
『あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。』(ヘブル12:22-24)
出エジプトの民が目指す約束の地は、確かに、乳と蜜の流れる良き地ではあるが、それは天の影、天の模型であり、完全なる桃源郷ではない。
事実、ヨシュアとその世代は、主に従順した故にその地で栄えたが、後の世代は、主に逆らったため、モーセやアロンが切望したこの地に居ながらにして、そこを呪いの地、災いを受ける地としてしまった。
ヨシュアはイスラエルの民を、真に安息の地に入らせたわけではない。
真の安息の地は、別にあるのだ。
『もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日のことについて語られたはずはない。こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。』(ヘブル4:8-9)
真の安息の地は、天にあり、そしてそこは、キリストを信じる私達が入るために残されているのである。
『モーセは主が命じられたとおりにし、連れだって全会衆の目の前でホル山に登った。そしてモーセはアロンに衣服を脱がせ、それをその子エレアザルに着せた。アロンはその山の頂で死んだ。そしてモーセとエレアザルは山から下ったが、全会衆がアロンの死んだのを見たとき、イスラエルの全家は三十日の間アロンのために泣いた。』(民数記20:27-29)
人間の祭司は、完全につとめを果たし続ける事は出来ない。
食事や睡眠などのために中断しなくてはならないし、また、アロンが度々罪あやまちを犯したように、人には「罪」があるため、完全な勤めは出来ず、そして、「死」という事があるため、永遠に勤め上げられない。
だから人には、完全なる祭司・キリストが必要なのである。
『イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。
このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。』(ヘブル7:22-28)
結局、人間が出来る最上の執り成しは、人を真の大祭司なるイエス様の元へと導く事である。