メッセージ - 約束の地で最初に勝ち取った領土(民数記21:10-35)
礼拝説教メッセージ音声:約束の地で最初に勝ち取った領土(民数記21:10-35):右クリックで保存
荒野の放浪も、終盤に差し掛かってきている。
『イスラエルの人々は道を進んでオボテに宿営した。またオボテから進んで東の方、モアブの前にある荒野において、イエアバリムに宿営した。またそこから進んでゼレデの谷に宿営し、さらにそこから進んでアルノン川のかなたに宿営した。アルノン川はアモリびとの境から延び広がる荒野を流れるもので、モアブとアモリびととの間にあって、モアブの境をなしていた。』(民数記21:10-13)
彼らはエドムの地を迂回するため、死海の東岸の方へ向かい、ゼレデの谷(死海南端から南東方面へ続く谷)からモアブの地を北上した。
主はそこで、井戸を与えて下さり、イスラエルの民は主の恵みに喜びの歌を作って歌っている。(17-18節)
民のそのような自主的な賛美も、今まで見られなかった事であり、荒野の生活で心が整えられて行った事が分かる。
『そして彼らは荒野からマッタナに進み、マッタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、バモテからモアブの野にある谷に行き、荒野を見おろすピスガの頂に着いた。』(21:18-20)
死海北端の東には海抜約八百メートルのネボ山があり、そのエリコに面した頂上は、「ピスガの頂」と呼ばれている。
そこからは、ヨルダン川の向こう側の「約束の地」を一望することができるが、モーセは主に逆らったため、ヨルダン川を超えて約束の地に入る事は許されていない。
『ここでイスラエルはアモリびとの王シホンに使者をつかわして言わせた、「わたしにあなたの国を通らせてください。わたしたちは畑にもぶどう畑にも、はいりません。また井戸の水も飲みません。わたしたちはあなたの領地を通り過ぎるまで、ただ王の大路を通ります」。しかし、シホンはイスラエルに自分の領地を通ることを許さなかった。そしてシホンは民をことごとく集め、荒野に出て、イスラエルを攻めようとし、ヤハズにきてイスラエルと戦った。』(民数記21:21-23)
イスラエルは、エドムの時と同様、通行許可を求め、平和の内に通過しようとするも、アモリ人シホンはそれを許さず、武力で向かってきた。
その時、それは災いに見えたかもしれない。しかし結果から見れば、それは幸いであった。
イスラエルの民はその戦いで勝利し、シホンの方面を制圧し、後にはその地方は、ルベン族、ガド族の相続地となった。
『モーセはまた人をつかわしてヤゼルを探らせ、ついにその村々を取って、そこにいたアモリびとを追い出し、転じてバシャンの道に上って行ったが、バシャンの王オグは、その民をことごとく率い、エデレイで戦おうとして出迎えた。主はモーセに言われた、「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその民とその地とを、ことごとくあなたの手にわたす。あなたはヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホンにしたように彼にもするであろう」。そこで彼とその子とすべての民とを、ひとり残らず撃ち殺して、その地を占領した。』(民数記21:32)
彼らはさらに北上したが、そこでも、バシャンの王オグは迎撃に会ったが、イスラエルは返り討ちにし、そうして、ガリラヤ湖南岸付近に至るまでのヨルダン川東側地域を占領した。そこは後にマナセ半部族の相続地となる所である。
このようにして、イスラエルは、約束の地で勝ち取った初の領土を得た。
そのきっかけは、いずれも、敵の攻撃であった。
神の民にとっては、ただ災いで終わるものは何一つ無い。
主イエスにあって対処するなら、いかに災いに見えるような事でも、全ての事は、益とされるための布石となるのだ。
主により頼んでいる私達は、時には敵の側から攻撃を受ける事がある。それは一見すると、災いであるかのように見えるかもしれない。
しかし御言葉と信仰をもって前進するなら、その方面を平定し、支配し、もはやその方面からは一切の攻撃を受けなくなるための、チャンスとなるのだ。
『あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。「もうしばらくすれば、/きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、/わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。』(ヘブル10:35-39)