メッセージ - 誘惑者は決して放置してはならない(民数記25:14-18)
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『ミデアンの女と共に殺されたイスラエルの人の名はジムリといい、サルの子で、シメオンびとのうちの一族のつかさであった。またその殺されたミデアンの女の名はコズビといい、ツルの娘であった。ツルはミデアンの民の一族のかしらであった。』(民数記25:14-15)
一族のつかさたる者が、主に忌み嫌われる事を率先して行っており、しかも、相手の女性は、ミデアン人のかしらの娘であるという。
イスラエル12部族のひとつ、シメオンの長の家と、イスラエルに敵対するミデアンの長の家とが、互いに縁を結ぶ。これは、実に由々しき事である。
彼れは堂々とミデヤンの女を連れてきた事ため、もしかしたら、この縁結びは内々で行われたのではなく、配下にいる多くの人達の合意もあったのかもしれない。
シメオン人は、その長たる者の為す事に習い、主に忌み嫌われるみだらな事を一族合同で行いはじめていたのかもしれない。
というのは、次章では第二回目の人口調査が行われるのだが、シメオン人は、イスラエル12部族中、減少率が最も激しかったのだ。
エジプトを出たばかりの第一回目の人口調査の時に、シメオン族は59,300人だったのに、荒野での生活をまさに終えようとしているこの時は、22,200人に減っている。
荒野での生活の最初と最後で、3,7100人の減少、減少率は、およそマイナス63%である。
もしかしたら、「トップがやっているし、みんなもやっているから」と、不品行がはびこり、それで多くの人達が主に打たれたのかもしれない。
トップの人や、身内の人が犯す罪は、大目に見てしまったり、見て見ぬ振りをしてしまいがちである。
しかし主は、それを許さない。
レビ記20章によると、ある人が子供をモレクにささげたのを目撃した時、あえてその事を黙認し、大目に見るのであれば、主ご自身が、その人とその家族とに顔をそむけ、彼および彼に見倣ってモレクを慕い姦淫する者を全て民のうちから断つ、と、主は宣言している。(レビ記20:4-5)
見て見ぬ振りは、いけないのだ。それによってますます不品行がはびこるからである。
異邦人との結婚を、民のつかさが率先して行う。それは深刻な罪である。
今回のコズビの事件では二万四千人が倒れたし、あの人類で最も知恵を得た王、ソロモンでさえ、異邦の女達との結婚によって、ついには公然とモレク礼拝をするようになり、それが引き金となってイスラエルは二つに分裂し、後々には亡国の憂き目に遭ってしまったし、また、ピネハスの子孫エズラも、民が異邦の女達と結婚し、しかも民の長たる者達が率先してそれを行っている事を聞いた時、色を失い、ショックのあまり夕方まで呆然として何も出来ない程だった。
多くの人を、誤った方向へと導いてしまう可能性がある故に、師たる者は、格別厳しいさばきを受けるのだ。(ヤコブ3:1)
『主はまたモーセに言われた、「ミデアンびとを打ち悩ましなさい。彼らはたくらみをもって、あなたがたを悩まし、ペオルの事と、彼らの姉妹、ミデアンのつかさの娘コズビ、すなわちペオルの事により、疫病の起った日に殺された女の事とによって、あなたがたを惑わしたからである」。』(民数記25:16-18)
誘惑者は、決して、そのまま野放しにしてはならない。
主は、主を信じる小さい者のひとりにでも、つまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましだと言っている(マタイ18:6)し、黙示録においても、多くの人々を惑わした大淫婦には、二倍にして報復し、彼女のしわざに従って災いの杯を倍にして入れよ、と言っている。(黙示録18:4-8)
人を誘惑し、人類全体を堕落へと導いたサタンを、主は決して赦されなかった。
同じように、誘惑さえ無ければ滅びとは無縁のような人を、あえて誘惑して滅びと導くような者は、決して赦してはならないのだ。
「彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。」(黙示録14:11)