メッセージ - 栄光の家系の女達 – ウリヤの妻 5 御心にかなった王朝の確立(1列王記1−2章)
栄光の家系の女達 – ウリヤの妻 5 御心にかなった王朝の確立(1列王記1−2章)
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元々ウリヤの妻だったバテ・シェバは、後に、ダビデ王家の後継者争いに巻き込まれる事になる。
主は、ダビデの次に王となるのはソロモンであると示され、ダビデはその事を公にしていた。(1歴代22章)
しかし、その御心を何とも思わず、王となろうと野心を起こした王子がいた。4男アドニヤである。
彼は自分が王になろうと言い出し、自分につく者達を招いて宴会を催し、王として既成事実を作ろうとした。
『彼の父は彼が生れてこのかた一度も「なぜ、そのような事をするのか」と言って彼をたしなめたことがなかった。アドニヤもまた非常に姿の良い人であって、アブサロムの次に生れた者である。』(1列王記1:6)
親に戒められずに育った子は、恐れを知らず勢いがあり、その上美しい人なら、人は追従するものだ。
私達も、主の御心が既に示されているのに、実際的な動きが全く無さそうな時に、美しく行動力のある者が現れ、御心に反してはいるけれども具体的な行動を取られると、それに迎合したくなる所がある。
王の家来の中に、彼に組する者はいたが、それでも組しない者もいた。王はソロモンであると主が定められた事を覚えていて、それを重んじていた人は彼にくみせず、それを軽んじた人は、彼にくみした。
サタンが私達から奪うやり口も全く一緒で、偽りの所有権を主張して既成事実を作り、人がその勢い飲まれたり無抵抗でいたりすると、さらに調子に乗って、もっと侵入して来る。
偽りの所有権に対しては、速やかに「真理」をつきつけて、必ず、対処しなくてはならない。
偽りの侵入をひと度許してしまうと、もっと調子に乗って来るので、追い出すのがより困難になるからだ。
預言者ナタンはその点、行動が早かった。バテ・シェバの所に行き、ダビデ王に真理を訴えるよう助言する。
王は、バテ・シェバと預言者ナタンの報告と勧めを聞き、動いた。王公認でソロモンを王として立てたのだ。
アドニヤはそれを聞いて震え上がり、祭壇の角をつかんだ。祭壇の角は、赦しのためのいけにえの血が塗られる所で(レビ4:7)、つまりアドニヤは赦しを重んじるやさしい聖徒たちの良心に訴えようとしたのである。
彼が本当に神を恐れる者であったら、自分が王になろうなどという御心に反した行動は起さなかっただろう。
アドニヤはこのように、主と、聖徒のやさしさとを良いように利用したが、主は侮られるようなお方ではない。
ソロモンはこの時、アドニヤを放免した。こうして血を流すこと無く、後継者問題は解決したかのように見えたが、アドニヤは諦めない。悪しき者とは、どうしても自分を滅びへ導くための行動をしたがるようである。
ダビデ王が死んだ後、アドニヤは、今度はソロモンの母、バテ・シェバにターゲットを絞って来た。
母バテ・シェバの願う事なら、断らないだろう、と、踏んだのである。
「ご存知のように、国はわたしのもので、イスラエルの人は皆わたしが王になるものと期待していました。しかし国は転じて、私の兄弟のものとなりました。彼のものとなったのは、主から出たことです。」(1列王2:15)
彼は、ソロモンが王になったのは主から出たと告白している。なのに、自分の野心の方を通そうとしたのだ。
「どうかソロモン王に請うて、シュナミびとアビシャグをわたしに与えて妻にさせてください。」(1列王2:17)
アビシャグを自分の妻としたい、という願いは、巧妙な罠である。父ダビデの妻(あるいは妾)であった彼女を自分の妻とするなら、自分こそダビデの王位を継ぐに相応しいと、いつ名乗りをあげないとも限らない。
バテ・シェバは、よく分からないで了解し、そのまま正直にソロモンに伝えに行った。彼女は王家で育った訳でないから、そういう事に疎いし、あるいは、アドニヤの勢いに押されたのかもしれない。彼は、ソロモンの実母バテ・シェバの頼みなら聞くだろう、そして彼女をだますのは、たやすい事だ、と思っていたのだろう。
悪しき者が、女を先に欺くのは、エデンの園から用いられてきた、人を堕落させる古典的な方法である。
しかし主は、その企みをソロモンに見抜かせて下さり、アドニヤはそれが元で殺される事になった。
アドニヤが野心を抱いて行動した事がきっかけとなって、ソロモンの即位が実体となっただけでなく、新王朝で反乱しそうな者達をも、早期に燻り出す結果となり、こうして、ソロモン王朝が確立した。
私達も、油断している時に、悪しき者が入り込んで来る時がある。その時、その者に飲まれたり、無抵抗でいたりしてはならず、早急に真理を突きつけ、御言葉の剣を突きつけて、対処しなくてはならない。
知恵と真理をもって、悪しき者に対するなら、かえってその事は益となり、滞っていた物事は進み、いのちの前進があるのである。