メッセージ - 女性が誓う場合(民数記30:3-16)
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男性が「誓う」場合の指示は、わずか2節で終わったが、女性が誓う場合は、3節から15節にかけて詳細に記している。
『またもし女がまだ若く、父の家にいて、主に誓願をかけ、またはその身に物断ちをしようとする時、父が彼女の誓願、または彼女の身に断った物断ちのことを聞いて、彼女に何も言わないならば、彼女はすべて誓願を行い、またその身に断った物断ちをすべて守らなければならない。しかし、彼女の父がそれを聞いた日に、それを承認しない時は、彼女はその誓願、またはその身に断った物断ちをすべてやめることができる。父が承認しないのであるから、主は彼女をゆるされるであろう。』(民数記30:3-5)
未婚の女性が誓う場合は、父親の承認が必要であり、結婚した女性の場合は、夫の承認が必要である。(6-15節)
『もし夫が彼女に何も言わずに日を送るならば、彼は妻がした誓願、または物断ちをすべて認めたのである。彼はそれを聞いた日に妻に何も言わなかったのだから、それを認めたのである。しかし、もし夫がそれを聞き、あとになって、それを認めないならば、彼は妻の罪を負わなければならない」。』(民数記30:14-15)
また、やもめとなった女性や、離縁された女性の誓願や物断ちは、彼女自身が責任をもたなければならない。(9節)
基本的に、女性は男性の保護下にあり、男性は保護している女性について責任を負っている。
それは、創世の当初より、女性は男性の助け手として創られており、男性の栄光をあらわす器として(1コリント11:7)、男性の保護下に囲われるよう創られているからである。
『妻(女)たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。』(エペソ5:22-24)
例えば、真珠は宝石箱の中に囲われ、守られ、時に取り出されては、その美しさを賞賛され、繊細さを愛でられるものだが、もし、真珠が自立して足が生え、箱から抜け出して何かしでかそうとするなら、たちまち傷を受けて不幸になってしまう。
そのように、女性は、男性の保護の囲いの内に守られ、愛でられる状態が、一番、創造の理に適った事である。
そして男性は、女性を愛し(アガペー:全てを尽くして愛し)、守り、自分のからだとして愛し、家の主として、家全体を神である主に忠実に仕える責任を負っている。
『夫(男)たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。』(エペソ5:25-28)
エバは蛇にそそのかされ、自立的に神の命令を破り、しかも、夫アダムの助け手としての領分を超えて、夫を堕落へと引き込んだ。
アダムも、神の命令より妻の言う事を聞き入れ、その結果、全人類に死が入り、被造物全体は呪われてしまった。
エバが先に失敗したのに、聖書はいつも「アダムが失敗した」と言っているのは、男性は、保護下にある女性の責任をも負っているからである。
それで女性は、男性を頭として歩むべきなのである。
私達が神から創られた分に応じ、与えられた役割の範疇内に留まって物事を為すなら、全ての事は秩序正しく、創世のはじめのような調和と美しさが保たれるが、もし、主から創造された分を超えて何かを仕出かすなら、無秩序と破壊をもたらし、不幸を招く事となる。
与えられた分、与えられた責任に応じ、それぞれの場で、それぞれの役割をしっかりと果たし、主の栄光を表していく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!