メッセージ - やらねば損な主の戦い、やらねば損な主のビジネス(民数記31:25-54)
やらねば損な主の戦い、やらねば損な主のビジネス(民数記31:25-54)
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 民数記
- 執筆 :
- pastor 2013-11-22 22:56
礼拝説教メッセージ音声:やらねば損な主の戦い、やらねば損な主のビジネス(民数記31:25-54):右クリックで保存
『主はモーセに言われた、「あなたと祭司エレアザルおよび会衆の氏族のかしらたちは、その生けどった人と家畜の獲物の総数を調べ、その獲物を戦いに出た勇士と、全会衆とに折半しなさい。』(民数記31:25)
主は、戦いで勝ち得たものを数えなさい、と言われた。
それは、イスラエルの民を勇気づけ、主に命じられた戦いに恐れずに出て行くなら、必ず大きな報いがある事を、知らしめるためである。
勝ち得たものの総数は、羊が六十七万五千、牛が七万二千、ろばが六万一千、男と寝た事の無い女が三万二千であった。(民数記31:32-35)
イスラエルの側は、一万二千で戦いに出たのに、これだけの分捕りをしたのだから、すさまじい戦果である。
偶像礼拝が盛んな国では、女の子が10代になる前に性行為を持つのは普通である。ミデヤンから連れてきた、男を知らない女の数が三万二千人、という事は、イスラエル人が戦った相手、戦闘できる成人男性の数は、その2,3倍、6〜9万はいたと推測できるだろう。
それだけを相手にして圧勝し、一人あたま羊だけで50頭以上を持ち帰る程の、膨大な分捕りを携えて来たわけである。
生けどった人と家畜の獲物は、まず、戦闘に出た戦士と、戦闘に出なかったイスラエルの会衆とで、折半された。
以下が、戦闘に出た兵士一万二千の受け取った分である。
『戦いに出た者の分は羊三十三万七千五百、主にみつぎとした羊は六百七十五。牛は三万六千、そのうちから主にみつぎとしたものは七十二。ろばは三万五百、そのうちから主にみつぎとしたものは六十一。人は一万六千、そのうちから主にみつぎとしたものは三十二人であった。』(民数記31:36)
これから主へのみつぎ分を差し引いて、それを一万二千で割ると、一人あたま受け取った数は、羊は約28頭、牛は約3頭、ろばは2〜3頭、人は1〜2人。
この他にも、彼らは金銀や木、革製品などの分捕りを自分のものと出来たのだから、戦闘に出た人は、一気に物持ちになった事が分かる。
いくさに出なかった人(59万ほど)の受け取った数も計算すると、一人頭が受け取る数は、羊は0.55頭、牛三万六千、牛は0.06頭、ろばは0.05頭、人は0.03人である。
いくさに出なかった人にも、確かに配分はあったのだが、それはほんのわずかで、羊は二人に一人もらえるかどうか、牛やろばや人に至っては、20人に一人がもらえるかどうかである。
以上の結果を聞くだけでも、戦いに出たほうが断然得だったと分かるが、さらに、次の事を聞くと「是非とも次は自分を戦いに参加下さい!」と言うようになるだろう。
『時に軍勢の将であったものども、すなわち千人の長たちと百人の長たちとがモーセのところにきて、モーセに言った、「しもべらは、指揮下のいくさびとを数えましたが、われわれのうち、ひとりも欠けた者はありませんでした。それで、われわれは、おのおの手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主に携えてきて供え物とし、主の前にわれわれの命のあがないをしようと思います」。』(民数記31:48-50)
なんと、何倍も多い敵と戦ったのに、一人も戦死者がいなかったのだ!
これはもう、主の御技としか思えない。だから百人の長、千人の長は主をおそれ、兵士たちのいのちのあがない金として、金を捧げたのだ。
そして残りの金銀や木製品、革製品などは、彼ら兵士のものとなったのだ。
こうなる事が最初から分かっていたなら、我も我もと、出て行っていただろう。
いや、こうなる、のである!
主は、昔も今も、同じである。
皆さんも、主を信頼して戦い出るなら、彼らと同じ分捕りが出来るのだ。
主が「行け」と言われる戦いに、敗北は無い。
主が「これを用いて商売せよ」と言われる商売に、損失は無い。
実際、タラントのたとえ(マタイ25章)でも、ミナのたとえ(ルカ19章)でも、損失を出した人は、一人もいなかった。
そのたとえの中で、持っているものを取り上げられ追い出された人は、主人を「預けなかったものをも取り立て、蒔かなかったものを刈り取る方だ」と邪推し、何の運用もしなかった者だ。
銀行に預けてさえいれば、利息はもらえたのだ。
イスラエルの民も、戦いに出ずとも、イスラエルの会衆の中にいれば、わずかながらの分配にあずかったのだ。
主の戦いに敗北は無く、主の商売に損失は無い。
最もよくないのは、主を邪推し、主から与えられたものを地に埋めて何もしない者である。
だから、大いに勇気を出し、神の戦いには強く雄々しく出て行って勝利し、神のビジネスには大いに出て行って利益を出し、主から「よくやった、忠実な良いしもべよ」と喜ばれ、さらに多くを任される皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!