メッセージ - 荒野の放浪の全行程(民数記33:1-49)
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民数記33章は、イスラエルの民が荒野を歩んだ全行程が記されている。
『イスラエルの人々が、モーセとアロンとに導かれ、その部隊に従って、エジプトの国を出てから経た旅路は次のとおりである。モーセは主の命により、その旅路にしたがって宿駅を書きとめた。』(民数記33:1-2)
主と共に歩んだ道を思い起こし、書き留め、それを後に残す事は、とても有益である。
その全行程が、いかに、自分の罪と愚かさゆえの迂回経路ばかりであったとしても、それをフォローして余りある主の恵みと憐れみを、私達は知るからである。
『彼らは正月の十五日にラメセスを出立した。すなわち過越の翌日イスラエルの人々は、すべてのエジプトびとの目の前を意気揚々と出立した。その時エジプトびとは、主に撃ち殺されたすべてのういごを葬っていた。主はまた彼らの神々にも罰を加えられた。』(民数記33:4-5)
イスラエルにとって、主と共なる歩みの始まりは、過越の小羊を食した翌日、奴隷を強いた国が処罰され、奴隷から開放された日であり、その月がイスラエルの年のはじめとなった。
同じように、私達の主と共なる歩みのはじめも、ほふられた小羊キリストの贖いにあずかった日、奴隷の状態を強いてきたサタンが処罰され、罪と死の束縛から開放された日が起点となる。
『こうしてイスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに宿営し・・・』(民数記33:5)
5節以降から49節までの長きにわたり、**を出立して**に宿営し、という言葉が幾度も続く。
「出立する(あるいは、旅立つ)」のヘブライ語は「上げる」との意味であり、「宿営する」のヘブライ語は「テントを張る」あるいはテントの杭を「下ろす」意味である。
イスラエルの民の全旅路は、主の臨在の雲が上がるとテントの杭を上げ、主の臨在の雲が下りて留まると、そこにテントの杭を打ち下ろした。
全行程、主の導きに従って出立し、宿ったわけである。
私達の人生も、仮宿の杭を下ろしたり、上げたり、という連続である。
人生のあの時は**中学に宿り、やがてその杭を上げて次は**高校に宿り、ある所では敵が攻めてきたり、ある所では海の中をくぐるように救われたり、ある場所では水が無くて渇いたり、そしてある場所では、大切な人が死んでしまったり、といったドラマの連続である。
5節以降には、色々な地名が出てくるが、それぞれの場所には諸説があり、あまり定かではない。
ただ確かな事は、荒野の旅路は、そのまま行けば2週間で行ける行程であるのに、自分達の不従順のゆえに、40年もかかってしまった、という事である。
そしてもう一つはっきりしている事は、その40年の間、ずっと主が共におられ、昼も夜もたゆまず守り、導き、恵みによって養い、やがては終着点へと導いて下さった事である。
40年という月日は、人間にとって決して短くはない。
なぜそんなにも長きに渡って、荒野を放浪しなくてはならなかったのか。
それは、人々が神とモーセからの再三の警告があったにもかかわらず、自分勝手を捨てず、主に逆らう性質を改めず、その唇から発する不信仰告白を、止めなかったからである。
(詳細: http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=1615&cid=35 )
皆さんは、現実世界には実在しないアニメキャラに恋をする人を、愚かだと思うだろうか。
決して実現する事の無い「無駄な幻想」を抱いている、と。
サタンは人に「無駄な幻想」を抱かせ、そこに執着させ、しまいには、滅びへと至らせる事のプロである。
すなわち、神は無視して自分の好き放題が出来るのだ、主からも誰からも何も指図されずに、神のようになって生きていけるのだ、という、悪い幻想を抱かせる事の。
現実逃避している人がテレビにのめり込んで、実在しないアニメキャラに恋をするように、「真実逃避」している人は、サタンの偽りにのめり込んで、実在しない真理もどきを追い求めて滅びへと向かう。
その「真実逃避」こそ、荒野の放浪生活の原因であり、滅びの元である。
アダムとエバも、そしてサタンも、無駄な幻想を抱いて滅びへと落ち込んでいった。(イザヤ14:12-15)
その無駄な「真実逃避」をいち早く手放し、主の御言葉の真実に向き直る人は、幸いである。
イスラエルの民は「真実逃避」をしてしまったが故に、荒野で放浪を40年してしまった。
できれば、そんな放浪なぞ無しに、信仰によって、すぐにでも安息へと入るのが理想であるが、いかに不従順の故に荒野のような人生を余儀なくされているとしても、マナは降り続け、雲と火の柱による主の導きがあったように、主の恵みと導きは絶えずある。
無駄な幻想は速やかに取り降ろし、信仰によって、安息の地へとすんなり入る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!