メッセージ - 受けるべき相続地(民数記34:1-29)
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『主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に命じて言いなさい。あなたがたがカナンの地にはいるとき、あなたがたの嗣業となるべき地はカナンの地で、その全域は次のとおりである。』(民数記34:1-2)
主は、イスラエルが獲得すべき相続地の、東西南北の境界を明確に示し、また、それぞれの部族の長と、相続地を分け与える担当とを、定められた。
主は私達にも、人生の色々な領域において、境界を定められている。
すなわち、住むべき領域や、為すべき仕事の領域、そして、主のために働く奉仕の領域において。
私達は、主から時に応じて与えられる分に従い、忠実に仕事し、働き、住まうもので、その「分」を超えて為すべきではないし、また、「分」を軽んじて、為すべき事を何もしないのも良くない。
士師記以降のイスラエルの歴史を見ると、どうも彼らは、主から与えられた「分」を軽んじ、分捕るべき土地を分捕らず、取るべき行動を取らず、かえって災いの多き歴史だった。
なぜなら、主が今回示された土地を、積極的に勝ち取りに行かず、主が「追い出せ」と言われていた先住民を追い出さず、ある程度まで到達した事で妥協した。
その結果、彼らは、先住民が行っていた偶像崇拝を行うようになり、主の忌み嫌われる者となったため、主は約束通りに、災いと呪いを送り、国全体は弱体化してしまうような時代がしばし続いたからである。
元々、主がアブラハムに約束して下さった相続地は「エジプト川からユーフラテスまで」という、この章で示された土地より、遥かに広大な土地であった。
主はなぜ今回、エジプト川からユーフラテスまでを得よ、とは言わず、それよりも狭い土地をここに示されたのか。
それは、主は、人がまず当面為すべき事を命じられ、人がそれに従順し、服従し、そこに到達したなら、主はさらに次のステップとビジョンを見せて、さらに次元の高いステップへと導かれるお方であって、もし将来、イスラエルの民が今回示された境界へと達し、得たなら、主はさらなる祝福の高みへと導こうとされていたのだろう。
実際、アブラハムの導かれ方は、そうだった。
主はアブラハムにはじめて現れた時、以下の約束をされた。
「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」(創世記12:1-3)
この時の命令は「わたしが示す地に行きなさい」だけで、具体的にどこに行くかは示されなかった。
そして、その命令を守り行うなら「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。」という約束された。
これらは具体性に欠けた内容だったが、それでもアブラハムは、信仰をもって進み行き、75年も住み慣れた生まれ故郷を離れた。
道中、色々の失敗は確かにあった。しかし、それでも彼は、主が示される地へと出て行くという、最初の従順・服従を達成した。
すると主は、アブラハムに次の約束を与えられた。
「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます。」(創世記13:14-17)
ここでは、与えられるべきものがさらに具体性を帯びており、さらに高次なものとなっている。
その後、アブラハムは信仰によって王達に戦いを挑み、見事勝利し、王である祭司・メルキゼデクから祝福を受け、アブラハムはメルキゼデクに十分の一を捧げた。
そのような輝かしい勝利と祝福を得た彼と、主は具体的な契約を結ばれた。
『わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。
すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える。』(創世記15:18-21)
主の人との関わり方は、以上のようである
すなわち、人にはまず従順すべき命令を与え、人がその命令を守り行った暁には、これこれの報いが与えられる、という事を、主はまず明示される。
人がそれに従順し、服従し、成し遂げたなら、さらに高次のステップへと進ませ、約束も以前よりも具体的に示され、そして祝福の内容も、さらにバージョンアップしていく。
私達は、主が最初どこに導かれるかが分からない。
しかし、私達が主からの最初の命令に従順し、服従して実行するのであれば、主はさらなる祝福の高みへと導き、進み行かせて下さる。
ひるがえって、ヨシュア以降の世代のイスラエルは、どうだったか。
彼らは、主からチャレンジを受けた最初の境界線に達する事なく、妥協し、安住し、御胸どおりに動かなくなってしまった。
それでイスラエルの民は、何百年もの間、蹂躙され、災い多き日々を送るはめになってしまった。
皆さんは、この時のイスラエルのようになっていないだろうか。
主から最初に与えられたビジョンを、しっかりと握り続け、その目標に到達するために、行動し続けているだろうか。
妥協したり、安住したりして、かえって災いに遭ってはいないだろうか。
私達は、イエス・キリストを信じる信仰によって、アブラハムの子孫である。
アブラハムのように大胆に進み行き、さらに高次元の役割を与えられ、さらに多くを任される皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!