メッセージ - 栄光の家系の女達 - マリヤ1 キリストを宿す性質(マタイ1:16)
栄光の家系の女達 - マリヤ1 キリストを宿す性質(マタイ1:16)
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『ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。』(マタイ1:16) 今まで、マタイ一章のイエス・キリストの系図に出てくる女性に焦点を絞り、「栄光の家系の女達」のシリーズとして見て来たが、その最後の女性は、イエスの母・マリヤである。
今まで四人の女性達を見てきたが、いずれも何かしらの「訳あり」だったが、その点マリヤは、血筋においても、素養においても、申し分のない女性であった。
イエス・キリストは、どのような血筋として生まれているか。
マタイ一章の系図は、ダビデの子としてのイエスキリストの系図で、ダビデ以降バビロン捕囚までは王族が、それ以降は王族はなく一般人が連なり、最後は、イエス・キリストの(法律上の)父・ヨセフで終わっている。
しかしイエス様は、聖霊によってみごもり、処女マリヤから生まれたため、ヨセフの血は継いでいない。
継いではならない理由があるのだ。系図の中のマタイ1:11に、エコニヤの名があるが、彼と、その前の王達は、あまりに悪い事をし続けたために、主はエコニヤ以降について、以下のように仰せられている。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降に王は出なかった。では、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?いいや、ダビデの子であり王族である。
実は、ルカの福音書三章に、もう一つの系図がある。この系図は、マリヤの家系の系図であり、マタイ一章のヨセフ系図では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカのマリヤ系図では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。
つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして悪に染まった王族の血を継いでもいない。つまりイエス様は、法的なヨセフの子、すなわち法的には歴代の王族の子であり、血筋としては、悪しき王達の血を継がない純粋なダビデの子孫である。
人間が王になると、必ず過ちを犯す。ダビデ王さえ、そうだった。主は元々、人間を王を立てるのは、御心ではなかった。それでも人間が王に立ったのは、人々が神を退けたからだった。(1サムエル8章)
人間の王は代々失敗し罪を重ね、エコニヤ以降、イスラエルにはもはや人間の王は立たなかった。
そこで主は、人間の王には頼らず、聖霊によって処女マリヤに宿り、生まれた神の子・キリストを真の王として立てたのだ。主に選ばれたマリヤはどのような性質であったか。主が宿られる人の性質を見てみたい。
マリヤはダビデ王の家系であるものの、ダビデはもう遠い遠い先祖であり、彼女の代にはあまり関係なかっただろう。彼女はごく普通の、どちらかと言えば貧しい家の女の子であった。そんな彼女の所に、ある日突然、御使いが現れて「おめでとう、恵まれた方」と言われた。彼女はその言葉に考え込んだ。(ルカ1:28)
彼女は、主から何かを受けた時は、それに対し口でとやかく言わず、「思い巡らす」性質の持ち主である。
御使いが羊飼いに現れ、羊飼い達が生まれたばかりの赤ちゃんイエス様に会いに来た時もそうだったし、イエス様が12歳の時、子供であるイエス様が言われた事に言い返さず、心に留め、思い巡らしていた。
御言葉に対し「でも」や「だって」を言わず、そのまま受け止め、たとえ理解できなくても、それを心に留め、思い巡らす性質は、きよい性質である。反芻する動物は、きよい(レビ記11:3)とされている。
また彼女は、主の語られた事は必ず成就すると信じ、100%受け入れる体制が整っている人である。
彼女は御使いから示された事を「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と言って受け止めたし、エリザベツも彼女を「主の語られた事は必ず成就すると信じ切った人」と評した。
キリストに宿られる体制が整っている人とは、御言葉を受けた時には、「でも」や「だって」は一切なく、素直に受け止め、信じ、それを思い巡らす人であって、血筋や能力、人の意欲や欲望は一切関係ない。
『言は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。』(ヨハネ1:12)
マリヤのように、素直に御言葉を受け入れ、信じ、思い巡らす、主イエスキリストが宿る性質を持つ皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!