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メッセージ - 申命記概要(申命記1:1-4)

申命記概要(申命記1:1-4)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 申命記
執筆 : 
pastor 2013-12-6 23:27

礼拝説教メッセージ音声:申命記概要(申命記1:1-4):右クリックで保存

『これはヨルダンの向こうの荒野、パランと、トペル、ラバン、ハゼロテ、デザハブとの間の、スフの前にあるアラバにおいて、モーセがイスラエルのすべての人に告げた言葉である。』(申命記1:1)
申命記は、ヘブライ語では「デヴァリーム」、「これらはことばである」という意味である。古代ユダヤでは、書物の冒頭の単語をタイトルとして使っているため、そのような名前となっている。
日本語題の「申命記」は「繰り返し命じる」という意味で、それは、イスラエルがカナンに入る直前にモーセが繰り返し律法を命じているためだ。

モーセは、申命記でよく命じている。「聞け」と。
神がいかにイスラエルを愛し、いかに導いて来たか。
また、神を愛して生きる事が、いかに幸いであるか、神に反逆して生きる事が、いかに災いであるかを、繰り返し説いている。

申命記を概略的に見ると、1章から4章までの所では、荒野での日々を振り返っており、民がいかに反逆して歩んできたか、その結果、どんな災いが与えられて来たかを、繰り返し述べている。
5章から26章の所では、主が与えられた十戒や律法を再確認しており、そして、27〜30章では、従順と不従順の二者択一、すなわち、祝福とのろいの二者択一を迫っている。
ことに、従順しなかった場合の呪いについては、とても詳細に記している。なぜそんなにも、呪いの結果を詳細に教えるか。それは、その道を歩ませないための、愛ゆえの戒めである。
31章以降は、モーセの告別のメッセージであり、後継者ヨシュアへの助言と、将来起こる事の預言的な歌、各部族への祝福、そして、モーセの死で終わる。

エジプトを出てきた民が通らされた荒野を、学校にたとえるとしたら、出エジプト記では教科書の基礎を学び、レビ記では応用的な学科を学び、民数記は卒業するための実技試験で、そして、申命記は卒業式における校長の最後のメッセージと言える。

『ホレブからセイル山の道を経て、カデシ・バルネアに達するには、十一日の道のりである。第四十年の十一月となり、その月の一日に、モーセはイスラエルの人々にむかって、主が彼らのため彼に授けられた命令を、ことごとく告げた。』(申命記1:2-3)
イスラエルの民はおよそ40年前、神の山ホレブで、律法の教科書である十戒が授けられ、そこで詳細な学科を一年学んだ。
そして第二年目の二月二十日、雲があかしの幕屋から離れて上り、イスラエルはシナイの荒野を出て旅立って行った。(民数記10:11-12)

そこからカデシュ・バルネアまでは、わずか十一日で行ける距離。
なのに、なんと、三十八年以上もかかってしまった。
なぜなら、彼らはカデシュ・バルネアでの卒業試験をかなりまずく行い、面接官である主に、度重なる無礼と反逆を繰り返したため、その反逆の世代が死に絶えるまでの、およそ三十九年もの「留年」が課せられてしまったからである。
不従順な世代が死に絶え、いよいよ荒野という学校の卒業を控えた今、四十年もの長きに渡って導いてきた校長・モーセによる卒業メッセージが、この申命記である。

卒業式では、良く語られる。これから皆さんは社会に出て、それぞれの道を歩み出す。これからは、ここで学んだ事をしっかりと握りしめて、自立した大人として歩みなさい、と。
そう、荒野での養育を受けたイスラエルは、これから信仰的に自立した歩みしていかなくてはならない。
続くヨシュア記以降が、その記録であるが、残念ながら、良い歩みをしたとはあまり言えない。

学校と社会とでは評価基準が真逆になる。学校では、いかにインプットしたかで評価されるが、社会では、いかにアウトプットしたか、すなわち、何を行ったか、どんな成果を残したかが評価される。
同じように、信仰の歩みも、インプットしたからにはアウトプットしなければならない。
御言葉が与えられたなら、それを実践し、信仰の結果を勝ち取って行く事が、要求される。御言葉をただ知っている、だけでは、ゆるされないのだ。
ヨシュア記以降、まさに、信仰を持って大胆に進み出た人達は大きな結果を残し、御心に反して自分勝手を行った者は滅んで行った。

学校を卒業したら、学生時代には無い「自由さ」がある。
しかし、その自由を自堕落な事に用い続けて年月を過ごすなら、取り返しの付かない事になってしまう。
同じように、この地上での信仰者の歩みは、自由である。実に、御心を裏切る自由さえもあるが、その結果も必ず刈り取る事になる。
『まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。』(ガラテヤ6:7-8)

与えられている自由を、肉に用いて滅びを招くか、それとも霊に用いて永遠のいのちを勝ち取るかは、皆さんの選択にかかっている。
天国は、自律的に神を愛し、神に愛される行いをする者だけが居る所である。
神を愛する事とはなにか、神を愛さない事とはなにか、この申命記から、しっかり学びたい。

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