メッセージ - 戦いも報酬も共に受ける(申命記3:12-22)
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続いてモーセは、ヨルダン川の東側で既に獲得した土地の分与をする。
『その時われわれは、この地を獲た。そしてわたしはアルノン川のほとりのアロエルから始まる地と、ギレアデの山地の半ばと、その町々とは、ルベンびとと、ガドびととに与えた。わたしはまたギレアデの残りの地と、オグの国であったバシャンの全地とは、マナセの半部族に与えた。すなわちアルゴブの全地方である。(そのバシャンの全地はレパイムの国と唱えられる。』(申命記3:12-13)
民数記32章を見ると、ヨルダン川の東側の領土を下さい、と、モーセに願い出たのは、ルベン族とガド族からだった。
彼らの当初の願いは、「もし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。」(民数記32:4)という、自己中心的なものだったが、モーセに咎められ、要望を変えた。
すなわち、自分達は相続地を先に受ける代わりに、他の部族が戦いに出る時は、一緒になって、それも、先頭に立って戦い、全部族が相続地を受ける時までは帰らない、と。(民数記32:16-19)
主からの幸いを、ある兄弟姉妹は先に、ある兄弟姉妹は後に与えられる事がある。
その時、先に与えられた兄弟姉妹は、そこに安住し、まだ与えられていない兄弟姉妹をないがしろにしてはならない。
ルベン・ガド族、マナセの半部族は、先に領地が与えられたが、モーセは、イスラエルの全部族が領地を勝ち取る時まで、彼らは共に戦わなくてはならない、と命じた。(申命記3:18-20)
これはキリスト者全員にも言える事である。
他の兄弟姉妹が皆、一致して信仰の戦いをしているのに、自分達が先に幸いを得たからと言って、戦いを降りて安住するのは、神の民のする事ではない。
なぜなら、主にある兄弟姉妹は皆、キリストの体の各器官であり、互いが互いを助け合い、いたわり合い、共に喜び、共に悲しみ、そうしてキリストにある「一つ」を実現するように、召されているからである。
『それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。』(1コリント12:25-27)
だから、もし他の兄弟姉妹より先に幸いを得たとするならば、まだ得ていない兄弟姉妹が得る時まで、一緒になって戦うべきである。
『マナセの子ヤイルは、アルゴブの全地方を取って、ゲシュルびとと、マアカびとの境にまで達し、自分の名にしたがって、バシャンをハボテ・ヤイルと名づけた。この名は今日にまでおよんでいる。)またわたしはマキルにはギレアデを与えた。』(申命記3:14-15)
民数記を見ると、当初、ヨルダン川の東側の領土を下さいとモーセに願い出たのは、ルベン族とガド族だけだったはずだが、途中からマナセの半部族も、それに加わっている。
もしかしたら、ルベン、ガドの申し出が通ったのを見て、「自分も」と進み出たのかもしれない。
しかも、マナセ族は積極的にエモリ人を攻撃し、勝ち得た土地に堂々と自分達の名をつけている。(民数記32:39-42)
このように、ある人が幸いを先取りして与えられたのを見て、信仰を奮い立たせ、積極的に進み出て大胆に勝ち取っていく兄弟姉妹もいるのだ。
またモーセは、次期イスラエルの指導者となるヨシュアに、特別に教えた。
『あなたの目はあなたがたの神、主がこのふたりの王に行われたすべてのことを見た。主はまたあなたが渡って行くもろもろの国にも、同じように行われるであろう。彼らを恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたのために戦われるからである。』(申命記3:21-22)
ヨシュアは、主が戦われ、主が圧倒的に勝利を与えて下さるのを、モーセの近くでつぶさに見、神が活き活きと働かれるのを体験した。
そしてモーセ亡き後も、主は必ず同じように働かれ、共に戦って下さる、だから、恐れるな、とモーセは力づけた。
私達も、主からいただいた恵みを数えて見ると良い。
人生のあの時もこの時も、主があのように働いて下さった、だから今目の前に起きているこの問題も、必ず主と共に乗り越えて行ける、と、勇気が湧いてくるのだ。