メッセージ - 預言されていた苦しみ(マルコ15:22-28) 礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
預言されていた苦しみ(マルコ15:22-28) 礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約) » マルコによる福音書
- 執筆 :
- pastor 2011-1-17 6:58
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ローマ兵はイエス様の衣服をくじによって分けたが、これは詩篇22編にてメシヤの苦難について預言されていた事の成就である。
詩篇22編はダビデが彼を攻め立てる者について書いたが、同時に、彼の子孫から出るイエスキリストの苦難を預言するものだった。
2節「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか」とダビデは詠み、神から見捨てられたかのような「気がした」が、イエス様は文字通り、神から見捨てられ尽くした。
イエス様が十字架に磔にされる際、没薬の入った酒が与えられたが、主はそれを受けなかった。
没薬の入った酒は麻酔作用があり、痛みを和らげる温情措置だが、それを拒み、十字架の痛みを一身に受け、罰を受けつくし、御父の怒りを受けつくしたのだ。
イエス様が身代わりとなって既に罰せられ、既に見捨てられたので、彼を信じる私達はもはや決して見捨てられる事は無い。
9節「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」
主は十字架上で同じ事を言われた。(マタイ27:43)
もし彼らの言う通り、御力をもって十字架から降りてしまったら救いは成就しないばかりか、もしそのような圧倒的力でもって従わせるような神であれば、自由な愛の心を持って人々は従うだろうか。
もしそのように力で従わせる主であったら、表向き従うような者は確かに増えるだろうが、恐怖政治の敷かれた国のように、自由も喜びも無くなってしまう。
神様は自由な心で、心からの愛による従順を求めておられるから、敢えて、主は力で自分を救い出す事はなさらず、力で世に示す事もなさらなかったのだ。
彼が十字架から降りず、十字架上で罰を受けてくださったからこそ、私達に救いがもたらされ、恐怖ではなく自由な心で主に仕える事ができるのだ。
16節「口は渇いて素焼きのかけらとなり」
主は十字架上で「渇く」と言われた。(ヨハネ19:18)
主は焼き尽くす捧げものとして捧げられ、十字架上で祈ったその叫びは香となって御父の前に立ち上り、御父はなだめられ、主はその敬虔のゆえに大祭司となられた。(ヘブル5:7-10)
マルコ15:28(異本)『「不法な者と共に数えられた」という聖書の言葉が実現した』
ここはイザヤ53:12の成就であり、主はその従順のゆえに多くの人達を分捕り者として与えられた。
彼は罪人の一人として数えられ、身代わりとなられたからこそ、彼を信じる者は彼の分捕り物として、罪人の内に数えられなくなるのである。
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- 韓国語を短期間でマスター2011-1-25 9:02
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