メッセージ - メズーザー(申命記11:13-21)
礼拝説教メッセージ音声:メズーザー(申命記11:13-21):右クリックで保存
『もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。』(申命記11:13-15)
祝福の条件は、やはり「命令によく聞き従う事」であり、既に6章でも命じられた通り「あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕える」事である。
モーセはこの命令を再度繰り返したし、イエス様もこれは最も大切な戒めであると言われた。
これをするなら、主は、秋の雨と春の雨を時に従って降らせ、穀物や果物を豊かに取り入れさせ、また、家畜のための養いも豊かにして下さる。
『あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。』(申命記11:16-17)
前回の箇所では、イスラエルがこれから入ろうとしている地が、どんなに素晴らしいかが、強調されていた。
そこは、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている地、主の目が年がら年中注がれている良き地であるが、しかし、もし主から離れ去り、偶像を拝むようになるとするなら、その良き地は、逆に不毛の地となり、災いと滅びの地に早変わりしてしまう。
実際、エリヤの時代のイスラエルがそうだった。(1列王記17章)
当時の王・アハブも、またイスラエルの民も、バアルやアシェラ等の偶像礼拝を盛んに行ったために、天の雨が閉ざされ、それで三年たってもなお主に立ち返ろうとしなかった。
しかし、イスラエルの民が「主こそ神です」と叫び、バアルやアシェラの預言者を殺したところ、イスラエルに雨が戻ってきた。
私達は、どんな良きポジションを得るかを求め急ぐより、もっと大切な事がある。
荒野にいようとも、乳と蜜の流れる良き地にいようとも、私達を導かれる主を愛し、主の命令を守り行う事が、はるかに大切だ。なぜなら、いかに乳と蜜の流れる豊かな地にいようとも、どんなに富や権力、名声を手に入れようとも、もし、主から心が離れ、主以外の何かを主以上に頼りとするなら、どんなに頑張っても、必ず廃れ、滅んでしまうからだ。
そして私達は、体だけ礼拝に参加すれば良いものではない。
いかに、礼拝や聖徒の交わりに欠かさず参加しても、それらの中で取り交わされる「御言葉」に対する感動や喜び、主イエス様に対する感謝も、期待する心も無いなら、ただ、聖なる時間と空間と、愛さん会のお菓子を食いつぶしているだけである。
大切なのは、どこにいるかではない。誰といるかでもない。
本人自身が、御言葉なる主イエス様と、どのように向き合うか、である。
『それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。』(申命記11:18-21)
ユダヤでは、今回の箇所・申命記11:13-21が、小型の羊皮紙に記したものを、メズーザー(ヘブル語で「門柱」)と呼ばれる小型のケースに納め、それを家の柱や門柱に打ち付けている。
それは「家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。」という命令を、そのまま守り行うためである。
しかし、御言葉を門に打ち付けたり、トイレに飾ったりする事よりも、むしろ御言葉を心に打ち付け、御言葉通りの良き行いで身を飾る事のほうが大切である。
パリサイ人は、御言葉の書かれた経札を額に結びつけ、その経札の幅を広くするなど、人に見せるためのパフォーマンスは派手にして、それでいて、正義やあわれみ、誠実という、さらに大切にしなくてはならないものを、おろそかにしている様を、主に咎められた。(マタイ23章)
大切なのは、御言葉に書いてある事を、信仰によって結びつけ、実践する事である。
そうでないなら、聞いた言葉も、益とはならない。
『福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。信じた私たちは安息にはいるのです。』(ヘブル4:2-3)
『もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。あなたは飽きるほど食べることができるであろう。』(申命記11:13-15)
御言葉をしっかり心に刻み、御言葉どおりの行いによって身を飾り、申命記に約束されている通りの幸いと祝福にあずかる皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!