メッセージ - 祝福と呪いの宣言(申命記11:22-32)
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モーセは再度、主の命令を、努めて守り行うように命じている。
『もしわたしがあなたがたに命じるこのすべての命令をよく守って行い、あなたがたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、主につき従うならば、主はこの国々の民を皆、あなたがたの前から追い払われ、あなたがたはあなたがたよりも大きく、かつ強い国々を取るに至るであろう。あなたがたが足の裏で踏む所は皆、あなたがたのものとなり、あなたがたの領域は荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテから西の海に及ぶであろう。』(申命記11:22-24)
モーセは神を、「あなたの神である主」と言っているが、皆さんは、両親を「わたしの父と母」と当然のように呼ぶごとく、皆さんの信じている神、主を、「わたしの神」と当然のように呼んでいるだろうか。
この主を「わたしの神」として愛し、主が命じられた道に歩み、つき従うなら、主は敵を、目の前から追い払われる。
いかに相手が自分達よりも強く、大きくとも、主が勝利させて下さるのだ。
私達が御言葉を守り行うなら、主は、今まで私達の通った事の無い、「広々とした良き地」を踏みゆかせ、そこを与えて下さる。
その「広々とした良き地」とは、実際の土地かもしれないし、社会的なポジションかもしれないし、あるいは、心の領域かもしれない。
主の御言葉を守り行う度に、内側が清められ、力強くされ、開放されて行くため、心の内が、ますます広々となって自由になり、今まで恐れや未熟さの故に「あれは出来ない」「これも出来ない」と、狭まっていた心が開放され、出来なかった事が出来るようになって行き、考えもしなかったよう領域へと、踏み込んで行く事が出来るようになるからだ。
『見よ、わたしは、きょう、あなたがたの前に祝福と、のろいとを置く。もし、きょう、わたしがあなたがたに命じるあなたがたの神、主の命令に聞き従うならば、祝福を受けるであろう。もしあなたがたの神、主の命令に聞き従わず、わたしが、きょう、あなたがたに命じる道を離れ、あなたがたの知らなかった他の神々に従うならば、のろいを受けるであろう。』(申命記11:26-28)
祝福と呪い、この、とてもシンプルな二者択一は、私達の人生の前にいつもつきまとう。誰も、この二択、すなわち、神である主の御言葉に聞き従うか、それとも、それに反して生きるかという選択からは、逃れられない。
もし主の御言葉に聞き従って生きるなら、祝福され、幸いを得る。しかし、主の御言葉に聞き従わずに自分の好き勝手に生きるなら、のろいを受け、不幸せになる。
これは、誰もが例外なく、そうである。
『あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導き入れられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山にのろいを置かなければならない。これらの山はヨルダンの向こう側、アラバに住んでいるカナンびとの地で、日の入る方の道の西側にあり、ギルガルに向かいあって、モレのテレビンの木の近くにあるではないか。』(申命記11:29-30)
モレのテレビンの木の近く、それは、主がおよそ500年も前に、イスラエルの先祖・アブラハムが初めてカナンの地に入り、そこで主が子孫にこの地を与えると約束された場所であり、アブラハムはその約束を受けた時、祭壇を築いて、主を礼拝を捧げた場所である。(創世記12:5-7)
主は、およそ500年も前からの約束を、誠実に果たそうとしておられたのである。
主がその500年来の約束を果たされた暁には、その重要な場所で、祝福と呪いを宣言しなさい、と、主は命じている。
具体的には、もしこれから主が命じられた事を守り行わず、主の忌み嫌われる事をするなら、呪われよ、と、自ら宣言するのである。(申命記27章)
私達も、主から幸いを受けた時こそ、油断せず、主の憐れみといつくしみを思い起こすよう、幸いを受ける前の段階から、信仰をもってシュミレーションしておくべきだ。
御言葉を守り行って生きるなら祝福を、御言葉を軽んじ守り行わないなら、呪いを受ける。
その事を日々宣言しつつ、恐れとまごころを持って主に仕えていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!