メッセージ - 肉と血(申命記12:15-28)

肉と血(申命記12:15-28)

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執筆 : 
pastor 2014-2-1 21:57

礼拝説教メッセージ音声:肉と血(申命記12:15-28):右クリックで保存

荒野の民は、約束の地に入るまでの間、牛や羊、やぎを、身勝手に屠殺してはならず、それを食す時は、必ず「礼拝」を通さなくてはならなかった。
すなわち、それらを主の幕屋の前に連れて来て、酬恩祭(和解のいけにえ)として捧げなければならなかった。(レビ記17:1-9)

しかし、約束の地に入ったなら、牛や羊、やぎも含め、好きなように肉を食べる事ができるようになる。
『あなたの神、主が賜わる恵みにしたがって、すべて心に好む獣を、どの町ででも殺して、その「肉」を食べることができる。すなわち、かもしかや雄じかの肉と同様にそれを、汚れた人も、清い人も、食べることができる。』(申命記12:15)

なぜ、約束の地に入るまでの期間は、牛や羊、やぎの肉を勝手に食べる事は出来ず、必ず「礼拝」というステップを通さなくてはならなかったのか。
それは、彼らがエジプトにいた時に染まってしまった偶像崇拝の習慣からの、「霊的毒抜き」のためと思われる。(レビ記17:1-9)

エジプトでは、牛や羊、やぎなどは、崇拝の対象となっていた。
レビ記の命令が与えられた時点では、エジプトから出てそんなに経っていない時で、体は出エジプトしていも、心は完全に出エジプトしていない民が多かった。
事実、民数記を見ると、イスラエルの民の心は幾度もエジプトへ傾き、エジプトへ戻ろうという扇動が幾度もなされたが、そのような人達は皆、荒野で打たれ、屍となって荒野に置いてけぼりにされた。

イスラエルの民が、以前の奴隷の国・エジプトの習慣から、完全に抜け出す「毒抜き」のために、牛や羊、やぎなど、エジプトでは崇拝の対象となっていた動物をほふるときは、必ず主を通し、主の前で礼拝を行う事を、イスラエルの民は約束の地に入るまでの間、ずっと続けた。
同じように、私達も、毒抜きすべき、以前の「世」の習慣があるかもしれない。
それは、お酒や性的不品行などの肉体的な悪い習慣かもしれないし、あるいは、すぐ暴力を振るったり暴言を吐くといった、性格的な悪い習慣かもしれない。
それらは、奴隷のように私達を縛り、新しい聖なる生活へ入ろうとする事を邪魔する。
しかしそれらは、イエスの御名と血潮によって、束縛から開放される事は可能である。
イスラエルの民が行ったように、そこから完全に抜け出すまでに、自分の中でそれに関わる全てにイエスの御名を通し、兄弟姉妹の祈りを通すのだ。
その事を一定期間続けるなら、段々、以前の悪い習慣や誘惑は、ものともしなくなって行き、やがて、その束縛を断ち切る事が出来るようになる。

主は、約束の地では肉を好きなように食べることを許されたが、二点、注意しなくてはならない事がある。
一つは、牛や羊、やぎなどを「主への捧げ物」とする場合は、荒野で命じられた時のように、主が選ばれる場所でしか、食べてはならない事。(申命記12:17)
もう一つは、血を食べてはならない事。
『その血は食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。あなたの穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一および牛、羊のういご、ならびにあなたが立てる誓願の供え物と、自発の供え物およびささげ物は、町の内で食べることはできない。あなたの神、主が選ばれる場所で、あなたの神、主の前でそれを食べなければならない。すなわちあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、および町の内におるレビびとと共にそれを食べ、手を労して獲るすべての物を、あなたの神、主の前に喜び楽しまなければならない。』(申命記12:16-18)

血を食べてはならない、これはノアの時代以来、主が命じられた事であるが、血は、聖書では、とても重要な意味がある事が記されている。
実際、血には多くの情報が隠されている事が、科学的にも立証されている。
すなわち、赤血球や白血球など血潮に含まれる全ての細胞には、DNA情報が組み込まれており、その持ち主の全ての情報が記されている。

血は、いのちそのものであり、また、神との契約のしるしとして有効なものである。(出エジプト記24:8、マルコ14:24)
日本では印鑑は契約のしるしとして用いられるが、印鑑の押された文書は、ある種の荘厳さと説得力がある。
それに対し、契約のしるしである血は、印鑑よりも遥かに多くを語り、説得力がある。

血は、語る。血は、叫ぶ。血は、証しする。(創世記4:10、黙示録6:9-10、ヘブル12:24、1ヨハネ5:6-7)
また、血潮はきよめの役割を果たす。(ヘブル9:13-22)
不当に流されたアベルの血は、地面の中から主に向かって叫んだように、イエス様の血潮も、父なる神に向かって叫ぶ。
父なる神に対しては、キリストにある私達の弁護を叫び、サタンに対しては、イエスの血を流した事の罪定めを叫ぶのだ。

律法では、血を食べてはならない、その内にはいのちがあるから、と言われているが、唯一の例外がある。
いや、それどころか、その血を飲まなくては、いのちは無い、とまで言われている血がある。
それは、イエスの血である。
『イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。』(ヨハネ6:53-56)

聖書で血潮がとても重要なものとして位置づけられている理由は、イエスの血潮の重要性を示すため、と言っても過言ではない。
イエスの血潮は、私達の罪を完全にきよめ、神に対しては弁護を叫び、サタンに対しては罪定めを叫び、私達が贖われた事の、完全なる契約の調印のしるしである。
私達も、イエスのいのちそのものである血潮を頂く事によって、イエス様のあらゆる優れたDNAが、すなわち、イエスの聖なるご性質、神の子としての完全なご性質が、私達の内にも、組み込まれるのである。

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