メッセージ - 永遠的殺人罪(申命記13:1-11)
礼拝説教メッセージ音声:永遠的殺人罪(申命記13:1-11):右クリックで保存
人は、目に見えるしるしや奇跡に、なびきやすく、目に見えない神から、離れやすいものである。
それでモーセは、まことの神・以外から来る預言やしるし、奇跡などに惑わされないよう、注意を促している。
『あなたがたのうちに預言者または夢みる者が起って、しるしや奇跡を示し、あなたに告げるそのしるしや奇跡が実現して、あなたがこれまで知らなかった『ほかの神々に、われわれは従い仕えよう』と言っても、あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。』(申命記13:1-3)
そうした、しるしや奇跡が起こるのは、まことの神以外に別の神がいるから、ではなく、悪霊がそれをさせて、まことの神から離れさせようとしているからだ。
そして、それが起こる時、その人は、主から試されている。
果たしてその人が、心をつくし、精神をつくして、神である主を愛するかどうかを。
キリスト者の中にも、主のしるしを見たい、奇跡を体験したい、と言う人がいるが、奇跡を見たり、体験したりすれば信仰がレベルアップすると思ったら大間違いであり、むしろ、しるしや奇跡がなければ信仰を保てないようでいては、その人の信仰は、かなりレベルダウンしている。
聖書中、主のしるしや奇跡を、最も多く見、最も多く体験した、荒野の民六十万の内、一体何人が、約束の地に入れただろうか?
ヨシュアとカレブの、わずか二人だった。
この事からも、主のしるしを見れば良いというものではない事が分かる。
『同じ母に生れたあなたの兄弟、またはあなたのむすこ、娘、またはあなたのふところの妻、またはあなたと身命を共にする友が、ひそかに誘って『われわれは行って他の神々に仕えよう』と言うかも知れない。・・・しかし、あなたはその人に従ってはならない。その人の言うことを聞いてはならない。その人をあわれんではならない。その人を惜しんではならない。その人をかばってはならない。必ず彼を殺さなければならない。彼を殺すには、あなたがまず彼に手を下し、その後、民がみな手を下さなければならない。』(申命記13:6-9)
この命令は、現代の日本人の感覚からは、とても厳しいように、そして、非道いかのように見える。
なぜモーセは、そこまで徹底するよう命じたのか。
ここで私達は、思い返すべきである。
「永遠がある」という事を。
私達が、永遠という視点に立つ時、まことの神から人をそむけさせ、他の神々へと導く行為は、放火や虐待、殺人などより、遥かに重い罪である事が、分かるはずだ。
なぜなら、まことの神から引き離す行為は、その人を永遠の地獄の刑罰へと導く行為であり、また、この世においても祝福を断ち切らせ、呪いへと導く行為なのだから。
申命記をここまで読んできた皆さんは、次のようにモーセが言うのを、耳にたこが出来る程、繰り返し聞いてきたはずだ。
すなわち、もし主に聞き従って御言葉どおり行うなら、その人は祝福され、敵に勝利し、畑の産物も祝福され、子孫も多くなり、齢を長くし、栄える事が出来る事を。
そしてもし、主に聞き従わず、主にそむいて他の神々に走るなら、その人は呪われ、敵に負け、虐げられ、畑や家畜などの産物は出さなくなり、子孫は捕らえ移され、いのちは短くなり、落ちぶれてしまう事を。
そして、まことの神である主を捨てる人は、地獄での刑罰に永遠に苦しめられてしまう事を、聖書は言っている。
たとえ人を火で焼き殺すとしても、その人にとっての苦しみは、死ぬまでのわずかな時間であろう。
しかし、その人をまことの神から引き離し、地獄へと導くとしたら、その人がゲヘナで焼かれる苦しみは、永遠に続けさせてしまう事になってしまう。
つまり、まことの神から引き離すように人を誘惑する行為は、その人を、自分の手を汚さず敵の手で葬らせるも同然の行為であり、その人の畑や家屋など資産に火をつけるも同然の行為であり、その人に毒を盛って寿命を縮めてしまうも同然のであり、そして、その人の「永遠のいのち」を奪うという、通常の殺人より遥かに重い罪と言える。
御言葉を差し引きせずに見るなら、そういう事になるのではないだろうか。
多くの国では、殺人は罪に問うけれど、まことの神から引き離す事には、何の罪状も無い。
だから残念な事に、人は、まことの神から引き離す事が、そんなに大それた罪だとは、思えないのだ。
しかし、誰かをまことの神から引き離す罪は、永遠のいのちを殺してしまう「永遠的殺人罪」である。
だからモーセは、その罪から人々を救い出そうとして、あのような厳しい命令を下したのだろう。