メッセージ - 十分の一を捧げる事の祝福(申命記14:22-29)
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『あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。』(申命記14:22-23)
主が人に十分の一を捧げるよう命じられたのは、全地は元々主のものであり(詩篇24:1、詩篇95篇)、主が恵みによって人々を養っておられる事を、思い起こさせ、主を恐れることを学ぶためである。
もし人が、主が支配しておられる自然界からの恵みを下さる事に感謝せず、主を覚えもせず、ただむさぼり食っているとしたら、それは「ただ食い」であり、主のものを盗んでいる事になり、そういう人は、呪われる。
『人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた「どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか」と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。』(マラキ3:8-9)
だから私達も、恵みによって養って下さる主に感謝し、十分の一を捧げるのならば、全てを支配しておられる主が、さらに恵みを増し加えて下さる。
『わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
わたしは食い滅ぼす者を、あなたがたのためにおさえて、あなたがたの地の産物を、滅ぼさないようにしよう。また、あなたがたのぶどうの木が、その熟する前に、その実を畑に落すことのないようにしようと、万軍の主は言われる。こうして万国の人は、あなたがたを祝福された者ととなえるであろう。あなたがたは楽しい地となるからであると、万軍の主は言われる。』(マラキ3:10-12)
また主は、貧しい人達や、主の働き人であるレビ人達にも、十分の一によって恵みの分かち合いをするよう、命じている。
『町の内におるレビびとを捨ててはならない。彼はあなたがたのうちに分がなく、嗣業を持たない者だからである。三年の終りごとに、その年の産物の十分の一を、ことごとく持ち出して、町の内にたくわえ、あなたがたのうちに分け前がなく、嗣業を持たないレビびと、および町の内におる寄留の他国人と、孤児と、寡婦を呼んで、それを食べさせ、満足させなければならない。そうすれば、あなたの神、主はあなたが手で行うすべての事にあなたを祝福されるであろう。』(申命記14:27-29)
モーセは再三、レビ人を、すなわち、主の働き人を養うよう、命じている。
すなわち、三年ごとに十分の一を町の内に置き、レビ人や在留異国人、孤児ややもめのための食料とし、彼らを満足させなくてはならない、と。
なぜなら、それをする事によっても、その人は祝福されるからである。
『わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。』(イザヤ58:6-8)
断食とは何も、食を断つ事だけではない。
いかに食を絶ったとしても、困っている人や貧しい人を虐げたり、肉親を世話しない等、主の忌み嫌われる事をしているなら、それはただ単に「食べない」だけであって、主の御前には、何も残らない。
主が喜ばれる断食とは、悪の束縛を振りほどき、人を虐げる事や、不当に人を支配する事を、止める事である。
そして、貧しい人や飢えている人を満足させる事、困っている人を見てみぬふりをせず、肉親もしっかり助け養う事であり、そのような人は、主を呼ぶ時に主は答えて下さる。
『もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。』(イザヤ58:10-11)