メッセージ - 兄弟姉妹を助ける事の祝福(申命記15:1-11)
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主は、困っている兄弟姉妹には、惜しまずに貸し、そして7年ごとの「ゆるしの年」には、その負債を免除しなくてはならないと命じている。
『すべてその隣人に貸した貸主はそれをゆるさなければならない。その隣人または兄弟にそれを督促してはならない。主のゆるしが、ふれ示されたからである。外国人にはそれを督促することができるが、あなたの兄弟に貸した物はゆるさなければならない。しかしあなたがたのうちに貧しい者はなくなるであろう。(あなたの神、主が嗣業として与えられる地で、あなたを祝福されるからである。)』(申命記15:2-4)
「ゆるしの年はもう近い」と考えて、貸す事を惜しむなら、貧しい人がその人を主に訴えるなら、その人は罪と定められてしまう。(9節)
しかし、惜しまずに貸すなら、以下のような祝福の約束がある。
『あなたの神、主が約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国びとに貸すようになり、借りることはないであろう。またあなたは多くの国びとを治めるようになり、彼らがあなたを治めることはないであろう。』(申命記15:5-6)
だから、「これを貸して、もし戻って来なかったら、自分は損をして、もっと貧しくなってしまうのではないか」という心配は、無用である。
逆に、他の国々に沢山貸すまでに物が祝福され、多くの国を支配するまでになるのだ。
「他を支配するのは良くないのでは」と思う方もいるかもしれないが、そう思う背後には、圧政したり搾取したりという「悪い支配」の事例を、世の中で数多く見て来た経験がある。
しかし、神の御心に叶った「正しい支配」というものがあり、神を恐れ、御言葉に忠実な人が行う「正しい支配」は、多くの人を幸いにする。
実際、エジプトの宰相となったヨセフは、世界中がききんの時、憐れみ深い政策を取り、当時の世界の人々は、喜んでヨセフの支配下に入った。
(創世記47章 詳細: http://voice.of.christ.yokohama/modules/d3blog/details.php?bid=1139&cid=23)
だからむしろ、神を敬う神の子達が、悪い者が支配している世から支配権を奪回し、正しく支配するべきなのだ。
『貧しい者はいつまでも国のうちに絶えることがないから、わたしは命じて言う、『あなたは必ず国のうちにいるあなたの兄弟の乏しい者と、貧しい者とに、手を開かなければならない。』(申命記15:11)
貧富の差というものは、必ず出てくるものだ、と、主は言われた。
確かに、人は罪の故に貧しくなる事はあるが、ヨブのように、主が何かを学ばせるために、敢えてその人を低くする場合もある。
もし兄弟姉妹が貧しくなり、困った場合、私達は彼らを助けるべきである。
なぜなら、私達の主・キリストがそうされたからだ。
『あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。・・・それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようとするのではなく、持ち物を等しくするためである。すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。』(2コリント8:9-13)
だから私達も、キリストにならうべきである。
もし兄弟姉妹を助けられる程の祝福を頂いているなら、惜しまず、助けるべきである。
「交わり」のギリシア語・コイノニアとは、兄弟姉妹が当たり障りなく談笑するだけのものではなく、寄付や援助などの、具体的な相互援助も意味している。
皆さんは、兄弟姉妹の「交わり」の中から、金銭的・物質的援助を、除外して考えてはいないだろうか。
『キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、「いのち(プシュケー:感情や意志、思い)」を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。』(1ヨハネ3:16-22)
働かずに他人からの援助で生きていこうとするような怠け者に対しては、自分の手で骨折って働くよう戒めるべきであるが(2テモテ3:12)、もしその人に自立する気があって、たまたま貧しくなってしまったような場合であるなら、惜しまず援助するべきである。
それをするなら、さらに豊かに祝福され、ますます豊かに与えるまでになる、という、以下の約束が伴っている。
『少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。「彼は貧しい人たちに散らして与えた。その義は永遠に続くであろう」と書いてあるとおりである。
種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。』(2コリント9:6-12)