メッセージ - トップたる者の人選(申命記16:18-22)
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約束の地に入った暁には、それぞれの町の長を任命する事を、モーセは命じている。
『あなたの神、主が賜わるすべての町々の内に、部族にしたがって、さばきびとと、つかさびととを、立てなければならない。そして彼らは正しいさばきをもって民をさばかなければならない。あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。ただ公義をのみ求めなければならない。そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜わる地を所有するにいたるであろう。』(申命記16:18-20)
モーセの言う”長たる者”を選ぶ際の選考基準は、「正しい人」であり、さばきを曲げたり、人をかたより見たり、賄賂を受け取ったりする事を禁じている。
普通、人々の上に立つ長を選ぶ際は、知識や経験があったり、有名な人や、人を統率するのがうまい人などを選ぶものだが、モーセは、能力的な面よりもむしろ倫理的な面のほうを強調している。
なぜなら、かつてモーセは、長たる者の人選で、痛い目にあっているからだ。
エジプトを出てまだ間もない頃、モーセのしゅうと・イテロが来て、モーセが何もかも一人で背負い込むのを見て、民の長を立てるようアドバイスした。
『モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。
また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。』(出エジプト記18:17-22)
イテロのこのアドバイスは、実に理にかなっている。
そして、民の長を選ぶ際の選考基準は、「有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人」だとしている。
それなのにモーセは、イテロのアドバイス通りに選考しなかった。
『そこで、わたしは、あなたがたのうちから、知恵があり、人に知られている人々を取って、あなたがたのかしらとした。すなわち千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とし、また、あなたがたの部族のつかさびととした。 』(申命記1:15)
モーセは、神を畏れる人でもなく、誠実な人でもなく、不正の利を憎む人でもなく、「知恵があり、人に知られている人々」を取ったのだ。
その結果、民は、神に信頼せず、神がおられる事を度外視して、自分で出来うるベストな方法を模索したり、八方塞がりな状況になると、モーセに当たり散らしたり、しまいには、神様が「行け」と言っている約束の地を目前にしながら、「自分にはそんな力が無い」と、エジプトに帰ろうと言い出し、信仰によって進もうとしているモーセやヨシュア達を、石で撃ち殺そうとまでした。(民数記14章)
また、モーセが上に立つのを気に食わなかったコラと共にモーセに反逆したのは、”名のある者たち”二百五十人だった。(民数記16:2)
私達は、組織の人選をする上では、”神を恐れる人格者”よりも、多少不正をしようとも、”出来る人”のほうを選びやすい。
世の社会ではそれで良くても、神の国の事柄を為すトップとすべきは、真っ先に、”神を恐れる人”でなければならない。
なぜなら神の国の事柄は、力や効率よりも、霊的純粋さこそ大切だからである。
実際、初代教会でも、トップの選考基準として「御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人(行状が良い人。「有名」という意味ではない)」を提示している。(使徒6:3)
現代の教会の、分裂や、不毛な”働き”の乱発など、多くの問題の原因は、トップに据えるべきでない人を、トップに据えてしまっている所にある事が多い。
教会などミニストリーの奉仕者に据えるべきは、御霊の実(愛、喜び、平安、、、誠実、柔和、自制など。ガラテヤ5章)をしっかり結んでいる人で、御言葉の知恵に満ちた人、社会においても行状が良い事で評判の人である。(使徒6:3)
モーセはかつて、長たる者の人選に誤り、荒野の放浪の元をつくってしまった。
私達は、奉仕者の人選を、世と同じにしてはならない。