メッセージ - 主の働き人としての分(申命記18:1-8)
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『レビびとである祭司すなわちレビの全部族はイスラエルのうちに、分も嗣業も持たない。彼らは主にささげられる火祭の物と、その他のささげ物とを食べなければならない。彼らはその兄弟のうちに嗣業を持たない。かつて彼らに約束されたとおり主が彼らの嗣業である。』(申命記18:1-2)
レビ人や祭司は、相続地を受けてはならないという”禁止命令”が出ている。(民数記18:20)
彼らの相続は、主ご自身であり、全イスラエルの代表(身代わり)として、主の奉仕に専念しなくてはならないからだ。(民数記3:49)
彼らには土地などの目に見える相続は無いが、その代わり、一般の人々が主に捧げるものの中から、受けるべき分がある。
『祭司が民から受ける分は次のとおりである。すなわち犠牲をささげる者は、牛でも、羊でも、その肩と、両方のほおと、胃とを祭司に与えなければならない。また穀物と、ぶどう酒と、油の初物および羊の毛の初物をも彼に与えなければならない。あなたの神、主がすべての部族のうちから彼を選び出して、彼とその子孫を長く主の名によって立って仕えさせられるからである。』(申命記18:3)
現代も同様に、牧師や宣教師など主のために専念して働くフルタイム献身者がおり、彼らも、聖徒たちが主に捧げる捧げものの中から、受ける分があるが、彼らは金銭を得る事を当てにして働くのではなく、ただ「キリストの福音のために」働くのである。(1コリント9章)
パウロは「献金によって生活する権利」があるのに、人々の福音を伝える妨げられぬように、そして、人々には自らの手でしっかり働く事を示すために、その権利を手放し、自らの手で働きつつ、福音の働きをした。(1コリント9:11-12)
パウロは聖なるプライドの故に、その権利を投げうったのだ。(同15節)
献身者を目指す人の中には、厳しい社会で揉まれるのが嫌だから、比較的「優しい」人達が集うキリスト教業界の中から糧を得、ぬくぬくしようと、逃避的な動機で献身者を目指す人も、中にはいるが、世の働きという「小さな事」さえまともに出来ないよう人は、神の国の働きという「大きな事」を担うべきではない。
神の国の働きは、一般社会での働きよりも、より大きな信仰が必要であり、より多くの主に対する服従と忍耐が求められるし、世の事業における責任よりも、永遠のいのちに携わる責任のほうが大きいからだ。
世で働くキリスト者は、主への捧げ物をないがしろにしたり、主のために専念して働く働き人を、ないがしろにしてはならない。
これをないがしろにしてしまうと、あらゆる事がうまくいかなくなってしまうからだ。
『あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた。』(ハガイ書1:9)
私達はフルタイム献身者でないとしても、主イエスにあって、王族の祭司であり、守り行うべき務めがある。
守り行うべき務めとは、週ごとに守るべき礼拝であり、周りの人々に福音を伝える事であり、子どもや家族に信仰を継承して行く事である。
この、自分の家という”聖所”のつとめをないがしろにしてしまうと、あらゆる事がうまく行かなくなってしまう。
『あなたがたは多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。
あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。』(ハガイ1:6-11)
しかし、再び主に立ち返り、家の中で崩壊してしまった信仰を建て直すなら、その後の栄光は、以前の栄光に、はるかにまさるものとなるのだ。(ハガイ2章)