メッセージ - エバ - いのち産む事の呪いと救い(創世記3:16)
エバ - いのち産む事の呪いと救い(創世記3:16)
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女は、善悪を知る実を自ら取って食べ、それを夫にも与え、罪と死を、全被造物に運び込んでしまった。
それで女性は、産みの苦しみが増し加わる事の呪いと、夫を切望するのだけれど、支配権は夫のほうにあり、女性は彼に支配される事になるという呪いが、定められてしまった。
『わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。』(創世記3:16)
出産は元々、主が祝福された命を、産んで増やしていくという、御心に叶ったすばらしき事であったはずなのに、全人類に罪を導入してしまって以降、それは罪を地にはびこらせる「悪しき事」に変容してしまった。
レビ記12章を見ると、出産は「汚れ」と定められ、男の子を産んだ女性は、七日間汚れ、さらにもう三十三日、きよめのために家に篭もり、その間は、聖なる所に出入りしてはならないとされた。
そして、女の子を出産した場合は、その汚れときよめの期間は、男の子の場合の2倍とされた。
新しいいのちを世に送り出される「おめでた」は、なぜ「汚れ」となってしまい、「きよめ」が必要なのか。
また、女の子の場合は、なぜ汚れからきよめられる期間が、男の子の2倍なのか。
ある人達はここを「女性差別」だ、失礼だ、としている。しかし、主がそのように定められた以上、私達は善し悪し判断は止め、なぜそのように定められているのかに思いを巡らせるべきで、その背後に隠されている重要な意味を汲み取ろうとするのが、御言葉への正しい対応である。
主は女性にいのちを産み育てるという特別な役割を与えられ、また「母性」という特別な愛情を与えられた。
だから、いのちを産む事に対し、また、性に対しては、ことさら注意深く、清めに立つ必要があるのだ。
出産した女性は、計四十日(女児の場合は八十日)という閉じこもるべき期間に、新しく生まれたいのちとじっくり向き合いながら、エバ特有の、犯しやすい罪と弱さについて、また、汚れときよめについて、そして、これから母として、いのちを育み育てて行くべき事を、思いめぐらし、じっくり考えるべきなのだ。
「汚れ」と「きよめ」を、しっかり思い巡らす女性には、この期間は、いのちと向き合う良き学びの時であり、同時に、産後の肥立ちを良くして、新しいいのちを再び生み出す土台を体に造る、安息の期間なのだ。
四十日という期間、それはまた、ノアの時代に大雨が降り続いたのと同じ期間である。
洪水の四十日の間、増え続けてしまった悪しきいのち達は、洗い流され、ノア家族の他、神に呼び出されたいのち達は、方舟の中にじっと閉じこもり、新しく改まった世へ送り出される事を、じっと待っていた。
同じように女性も、四十という間、じっと閉じこもり、悪しき呪われるべきいのちを洗い流し、神の御手によって守られた新しきいのちを世に送り出す準備期間とするのだ。
『それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう。』(創世記3:16)
罪ある男に支配される事は、呪い以外の何物でもない。女性は、どのようにして、この「呪い」を「祝福」に変えることが出来るだろうか。それは、唯一完全な男・キリストを夫とし、彼の支配に入る事によってである。
サマリヤの女には、5人の夫があったが、それでも渇きに渇いた。しかし全人類の真の「主人」であるキリストを主人とするなら決して渇く事が無く、その人の内から永遠のいのちへの水がほとばしり出る。(ヨハ4章)
また、パウロは命じている。女性は身なりも態度も「慎み深さ」によって飾るべき事を。(1テモテ2:9)
『アダムは惑わされなかったが、女は惑わされて、あやまちを犯した。 しかし、女が慎み深く、信仰と愛と清さとを持ち続けるなら、子を産むことによって救われるであろう。』(1テモテ2:14-15)
子を産む事によって救われる、とは、どういう事か。主は「女の子孫」すなわちキリストによって、蛇の頭を砕く事を預言しておられた。私達も、世界も、キリストという新しいいのちを生み出すなら、救われるのだ。
だから私達は、キリストが形造られるまで、肉の思いを殺しつつ、産みの苦しみをするのだ。
いのちを産む事、子を育てる事、そして、性的な事には、ことさら「汚れ」が入りやすく、それらの事には、特に「きよめ」の意識を持たなくてはならない。
ユダヤ人女性は、出産のたびにそれを学び、いのちと性に関する概念がとてもしっかりしているため、ユダヤ民族は様々な歴史的困難にもかかわらず、栄え、増え広がって行った。しかし、そうした学びの一切無い異教徒達は、性を快楽の道具として、いたずらに用い、罪と汚れ、悲惨さを多く生み出して来てしまった。
いのちを産む事の大切さを正しく学び、祝福のいのちを産んで増やして行く皆さんでありますように!