メッセージ - アベル - 神にリスペクトされる捧げ物(創世記4:1-5)
アベル - 神にリスペクトされる捧げ物(創世記4:1-5)
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『彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。』(創世記4:1-2)
カインの名前には「得た」「所有」の意味があり、アベルは「吐息」「虚しい」の意味がある。
あまりパッとしないアベルだが、新約で彼は「義人」として数えられている。(マタイ23:35、ヘブル11:4)
彼について記されている情報は、僅かである。カインは、語ったセリフも、神様からの語りかけも多いのに、アベルには、全く無い。それなのに、なぜアベルは義人として有名なのか。僅かな情報から辿ってみたい。
「時が経って次の事が起こった、カインは、地の実りから主へのささげ物を持って来た。また、アベルも彼の群の中から、初子の、それも最も肥えたものを主に持って来た。主は、アベルと、そのささげ物とに、リスペクトした。しかし、カインと、その捧げ物とに、彼はリスペクトしなかった。」(創世記4:3-4、KJVから翻訳)
主に捧げ物を捧げる時、カインは、ただ地の実りを、ただ持ってきた、のに対し、アベルは、自分の群れの中から「どれが一番良いものだろうか」と悩み、初子達の中から、最も肥えたものを選び出して、主に持って行ったのだ。 アベルは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」神を敬っていたのが分かる。
主は今、生きておられ、今この瞬間も、私たちの心の成り行きを見て、知っておられる。それ故、主を敬う心こそ礼拝で最も必要であり、形だけの礼拝では、主から御言葉も恵みも答えも祝福も頂く事は出来ない。
主に捧げているのに、主からそっぽ向かれている感じがしたり、仕事や人間関係がうまく行っていない、祝福から遠い、と感じる事は、あるだろうか。私達は、ある捧げ物は主にリスペクトされ、ある捧げ物はそっぽ向かれてしまう、という事が厳然としてある事を、知るべきである。
また、アベルの捧げ方は、神様がよしとされる方法にのっとっていた。
神様がよしとされる方法とは何か。それは前回見たように、”犠牲”がある事である。カインの捧げ物には、命の犠牲は無かったが、アベルは、自分の手で育てた最も良いいのちを、犠牲にして主に捧げた。
私達は、勝手に考え編み出した礼拝形式を人に、そして神に、押し付けてはならず、神の側が提示された方法に、私達の側が従うべきであり、御言葉の根拠なき礼拝や奉仕、御心から外れた「自分流の礼拝」を捧げても、主を怒らせるだけである。
「主への祭り」と称して金の子牛を造って飲み食いし戯れたイスラエルの民は、それで主に仕えているつもりだったが、主は彼らを怒り、滅ぼそうとされた。(出エジプト記32章)
示されていた御言葉を読んだなら、それは、とんでもない反逆だと容易に判るはずなのに、彼らには、御言葉に聞く心が無かったため、「礼拝を捧げている」と 大真面目に 思いつつ、逆に、主に滅ぼされる寸前までの怒りを買っていたのだ。
主に仕えているつもりでいながら、主を悲しませ怒らせている、という事も、厳然としてある。それを防ぐために、私達は常に御言葉の真理に照らし合わせ、主の道を正しく歩んでいるかチェックすべきである。
またアベルは、その名前からして、自分を誇らない、砕かれた、悔いた心を持っていたはずである。「あなたはいけにえを好まれません。たといわたしが燔祭をささげても、あなたは喜ばれないでしょう。神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」(詩篇51:16-17)
たとえ、アベルがどんな豪勢な焼き尽くす捧げ物をささげても、彼の心が砕かれていなかったなら、その捧げ物は受け入れられなかったのだろう。それに対し、カインの心は砕かれてもおらず、悔いてもいなかった。
カインとその捧げ物に、神からのリスペクトが得られなかった時、彼は憤り、顔を伏せたが、その行動から、彼は明らかに自分の方法や自分の気分を、神よりも高い位置に置いていた事が分かる。
『信仰によって、アベルはカインよりも勝ったいけにえを神に捧げ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。』(ヘブ11:4)
もし私たちが、正しく行っていないとしたら、神に受け入れられない。思い通りに行かない事で、怒りが込み上げてくるとしたら、罪は戸口で私達を慕っている。その時、私達はそれを治めるべきである。
もしそれをしなければ、どうなるか。それは次回詳しく見ていきたい。