メッセージ - 主の定めた秩序に従って(申命記22:5-12)

主の定めた秩序に従って(申命記22:5-12)

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執筆 : 
pastor 2014-3-11 22:12

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今回の箇所には、種々の命令が示されているが、これらは全て、主が秩序をもって創造されたいのちを、大切にするべき事の命令である。

『女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである。』(申命記22:5)
神は人を、神のかたちに、男と女とに創造された。(創世記1:27)
その創造の有り方から外れて、男が女のようになったり、女が男のようになったりする事を、主は忌み嫌われる。
それは主の創造の御胸に反逆する事である。

『もしあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣のあるのを見つけ、その中に雛または卵があって、母鳥がその雛または卵を抱いているならば、母鳥を雛と一緒に取ってはならない。必ず母鳥を去らせ、ただ雛だけを取らなければならない。そうすればあなたはさいわいを得、長く生きながらえることができるであろう。』(申命記22:6)このようにする事が、なぜ「さいわいを得て、長生きする」事なのか。

主は、いのちの主であり、特に、いのちの養いを大切にされるお方である。
母が子のいのちを養っている最中なのを見ても、憐れまず、いのちの養いを軽んじ、損得勘定だけで動く者は、いのちそのものからそっぽ向かれ、嫌われてしまう。
だから、このようにするなら、いのちそのものに愛され、「さいわいを得、長く生きながらえることができる」のだ。

『新しい家を建てる時は、屋根に欄干を設けなければならない。それは人が屋根から落ちて、血のとがをあなたの家に帰することのないようにするためである。』(申命記22:8)
ここも、いのちを大切にすべき事の命令である。
イスラエルにおいて、屋上は、生活の上で色々な営みをする場所であり、それら日常生活の営みの内に、うっかり命を落としてしまうという事が無いように、その配慮を初めのうちに行っておきなさい、という事である。

『ぶどう畑に二種の種を混ぜてまいてはならない。そうすればあなたがまいた種から産する物も、ぶどう畑から出る物も、みな忌むべき物となるであろう。牛と、ろばとを組み合わせて耕してはならない。羊毛と亜麻糸を混ぜて織った着物を着てはならない。』(申命記22:9)
ここでは、異なった種のいのちを混合する事を禁じている。

主は、創造のはじめから、色々の種類にしたがって、動物や植物を創られた。
実際、創世記1章には「種類にしたがって」という言葉が、何回も出てくる。主は、全生物を、実にバラエティに富んだ形で創られたのだ。
人は、「これは劣っている種だから絶滅させよう」とか、「こちらは優れているから、掛けあわせてより優れた種で統一させよう」などと、種といのちをさえ合理化させようとする。
いのちは、主のものである。主が創られたいのちを、人が勝手に操作してはならないのだ。

人は、白黒をグレーにしたり、清さと汚れを混合しようとしたりするが、主は、光と闇とを、天と地とを、そして聖と俗とを、はっきり区別された主である。
私達も、自らをきよく保つために、世と汚れから分離すべきである。
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。』(2コリント6:14-17)

自分達は主の民である事を、いつも思い起こすために、主は、『身にまとう上着の四すみに、ふさをつけなければならない。』(申命記22:12)と命じられた。
『イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。こうして、あなたがたは、わたしのもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたの神に聖なる者とならなければならない。』(民数記15:38-40)
つまりイスラエルでは、互いの衣服についている青いふさを見る度に、自分達は天に属する者達、神の民である事を思い起こさせ、誘惑に陥ったり、堕落しないために、、この事を定められたのだ。

私達にとっての救いのしるしは、十字架である。
パリサイ人は、この”しるし”を形骸化させ、衣のふさの青いしるしを、互いに戒め合うためではなく、自分の清さを人にアピールし飾るためのものとしてしまった。(マタイ23:5-7)
現代の私達は、十字架を、自分を飾るアクセサリーに貶めてはならず、イエス様の痛みを覚えるしるしとして、そして、自我を死に明け渡す”死刑の道具”として覚え、自分達は天に属する者である事を、いつも覚えるべきなのだ。

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