メッセージ - 一人の異性にコミットする(申命記22:22-30)
礼拝説教メッセージ音声:一人の異性にコミットする(申命記22:22-30):右クリックで保存
聖書の示す所では、肉体関係を結んで良い相手は、ただ一人、結婚した相手のみであり、それ以外は許されていない。
つまり結婚は、結婚相手に対し、自分を排他的に”唯一の異性”として、コミットする事である。
具体的には、女性であれば、相手の男性にとって唯一の専属的な「女性」となる事、また、男性であれば、相手の女性にとって、唯一の専属的な「男性」となる事だ。
そして、コミットした相手以外の異性に対しては、性的な目で見る事や、他の異性に対して”色目”をつかう事を、もはや止めるのだ。(マタイ5:28)
『もし夫のある女と寝ている男を見つけたならば、その女と寝た男およびその女を一緒に殺し、こうしてイスラエルのうちから悪を除き去らなければならない。もし処女である女が、人と婚約した後、他の男が町の内でその女に会い、これを犯したならば、あなたがたはそのふたりを町の門にひき出して、石で撃ち殺さなければならない。これはその女が町の内におりながら叫ばなかったからであり、またその男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたはこうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。』(申命記22:22-24)
イスラエルにおいて「婚約」は、その、男女のコミットの関係に入るものであり、相手に対して純潔を守る事の責任は、結婚と代わりは無い。
独身者は、特別な異性がいる事に憧れを持つものだが、特別な異性がいる、という事には、相手に対しての責任も生じる事を忘れてはならない。
その責任は、厳粛に、そして日々地道に果たして行くべきものだ。
だから、もし相手のある身であるにもかかわらず、それとは別の相手に自ら進んで体を明け渡す事は、してはならない。
もし、自分には特別な相手がいるのに、肉体関係を求めて言い寄ってくる者がいたとしたら、うやむやでどっちつかずな返事はしてはならず、明確に抵抗し、叫んででも止めさせるべきなのだ。
『しかし、男が、人と婚約した女に野で会い、その女を捕えてこれを犯したならば、その男だけを殺さなければならない。その女には何もしてはならない。女には死にあたる罪がない。人がその隣人に立ちむかって、それを殺したと同じ事件だからである。これは男が野で女に会ったので、人と婚約したその女が叫んだけれども、救う者がなかったのである。』(申命記22:25-27)
このような強姦事件の場合は、「人がその隣人に立ちむかって、それを殺したと同じ事件」と言われている。
つまり、男が力づくで女性を犯す行為は、その女性を殺したも同然の行為であり、その女性の貞潔や人格、将来を殺すばかりでなく、その女性がコミットした相手の心をも、ぐちゃぐちゃに踏みにじる行為なのだ。
『まだ人と婚約しない処女である女に、男が会い、これを捕えて犯し、ふたりが見つけられたならば、女を犯した男は女の父に銀五十シケルを与えて、女を自分の妻としなければならない。彼はその女をはずかしめたゆえに、一生その女を出すことはできない。』(申命記22:28-29)
婚約前の状態で、肉体関係を持った男女は、死刑ではなく、一生涯、相手に対しコミットする責任が生じる。
これらの事から、婚前交渉より、むしろ、コミットした相手を裏切る肉体関係こそ、重大な罪である事が分かる。
今、私達キリストには、コミットすべき特別な相手がいる。それは、キリストである。
私達は、以前はキリストから離れ、神の国から除外され、この世にあって望みもなく、神もない者だった。
しかしキリストは私達を、ご自身の血で買い取って下さり、以前は遠く離れていた私達も、今や、キリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって、神に近い者とされた。
『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。』(エペソ2:14-15)
今や、キリスト者である私達は、キリストを「主人」として、コミットした者達である。
婚約関係に入ると、女性は、相手の男性に唯一専属的な「女性」となるように、キリストは、私達にとって、唯一の専属的な「主人」である。
そして、人が浮気したらねたみを引き起こすように、主も、私達の霊的な浮気を、ねたまれる。
『私たちは主のねたみを引き起こそうとするのですか。まさか、私たちが主よりも強いことはないでしょう。』(1コリント10:22)
キリストに対してコミットしたからには、もはや、キリスト以外に霊的な”色目”を使う事は止めるべきである。