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メッセージ - 伝道者の書概要(伝道者1:1-3)

伝道者の書概要(伝道者1:1-3)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(旧約) » 伝道者の書
執筆 : 
pastor 2014-3-15 2:50

礼拝説教メッセージ音声(音声のみ)
伝道者の書概要(伝道者1:1-3):右クリックで保存

【概要】

人類最高の知恵を与えられたソロモンが、神から離れた結果たどり着いた結論は「空の空、すべては空」という虚しさであった。キリスト抜きの人生がいかに虚しいか、そして主にあってこそ満ち満ちた人生を歩めることを、伝道者の書を通して学ぶ。

【聖書箇所】

  • 伝道者1:1-3

  • 第一列王記3:3-14

  • 第一列王記11:1-13

  • 詩篇127編

  • コロサイ2:8-10

【戒めの言葉】

礼拝を軽んじて世の仕事に明け暮れることの愚かさ。神から離れて得た知恵や富は、結局虚しさに終わってしまう。

【勧めの言葉】

キリストにあって歩むなら、人生は満ち満ちたものとなる。主が建てる家、主と共に歩む人生こそが真の祝福である。

【***AIによる文字起こし***】

今まで水曜のこの時間は黙示録でしたけれども、それが終わりました。今日からは伝道者の書に入りたいと思います。今日の箇所は、伝道者の書1章1節から3節です。

「エルサレムの王、ダビデの子、伝道者の言葉。空の空、伝道者は言う。空の空、すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」(伝道者1:1-3)

この伝道者の書という書物は、その冒頭の言葉がそのまま書名になっています。ヘブライ語で「ディブレイ・コヘレト」という言葉で始まります。ですから、カトリック訳の聖書は「コヘレトの言葉」という名前でこの書が記されています。コヘレト、それは伝道者、あるいは宣教者、教えを伝える者という意味です。

誰が書いたかについては、長らくダビデの子ソロモンが記した言葉ではないかと言われていました。しかし、宗教改革のルターは別の人だと言い、あるいはバビロン捕囚の後に書かれたという説もあります。いろいろな解釈はあるのですが、この伝道者の書を書いた本人がどういう人物であるかを見ると、エルサレムの王でダビデの子であること、多くの知恵が与えられた者であること、また多くの女たちを囲み、多くの事業をして、たくさんの輝かしい実績を残したということから、これを記したのはソロモン以外の何者でもないと、多くの人たちに言われています。

この書を記している人は、本当に命を何も知らない、神様のもとにある命を知らないなという印象をよく受けます。そしてこの書が聖書の他の箇所と比べてすごく違って異色なものであること、これは誰が読んでも分かるのですが、要するに虚しさで満ちているのです。

伝道者の書のキーワードは「むなしい」ということです。空の空、すべては空である、と。面白いことに、この「むなしい」という言葉、ヘブライ語で「ヘーベル」と言うのですが、旧約聖書全体で検索すると64回出てきます。そして、その「むなしい」という言葉が、伝道者の書では38回も使われているのです。半数以上、聖書全体の「むなしい」の半分以上が、この伝道者の書で使われています。

新約聖書の方で日本語で「むなしい」という言葉で検索すると、全部で16箇所出てきます。新約聖書全体で16です。でも伝道者の書では、新約聖書全体の中の「むなしい」という言葉の数をはるかに上回る38も、この1書で使われているのです。

もうひたすら「むなしい、むなしい、むなしい」。ちなみに新約聖書の方では、この世が虚しいとか、そういう人生とか、この世とか、神様の御業とかを「むなしい」という言葉で表現しているものは一つも出てきません。むしろ新約聖書で「むなしい」という言葉が使われているのは、「行いのない信仰はむなしい」とか、「騙し事の哲学、むなしい哲学に惑わされるな」とか、そういう積極的な意味で「むなしい」という言葉が使われています。

でもこの伝道者の書に限っては、すべてはむなしい、この世はすべてむなしい、すべて空の空だと言っているのです。

伝道者の書1章12節のところでは、「伝道者である私はエルサレムでイスラエルの王であった」と書いてあります。要するにイスラエルの王であった、と過去形が使われており、これを記した時点で既に王ではないことを示しています。ですから、おそらくソロモンがこれを記したのは、若かりし頃ではない、栄華を極めた時でもない、王で亡くなった後に記されているのではないかと言われています。

ソロモンは確かに知恵が与えられました。多くの良いもの、良い書、詩篇も記しましたし、箴言も記しました。箴言では本当に多くの良い言葉が示されているのですが、でも、ひるがえってこの伝道者の書は、その成れの果てと言いますか、本当に書いていることが全てが虚しい、希望が一切ないということです。箴言を読んだ後に伝道者の書を見ると、本当に同じ人が書いた書物なのだろうかと思うほどです。人生の途中で神様から離れて、その人の行き着く先は結局、虚しいものしかないわけです。

そして3節を見ますと、「日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」とあります。これは、この人生、私たちは労苦しても何にも益にならないんだ、全部が虚しいんだ、そういう風に生きなくてはならないのかって思う人もいるかもしれませんが、でも、これよく見ると、3節、「日の下で」って書いてあるんですよ。これは新約聖書における「この世」ということを意味しています。

ですから「この世で」言い換えると、「この世でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」ということです。日の下、日というのは太陽とか大きな輝きを意味しているのですが、その下において、この地上における太陽の下において、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。これは真実ですね。この太陽の下でどんなに労苦しても、この太陽の下に何を積み立てようとしても、どんな大きな事業を起こしても、それは何の益にもならない。

ちなみにこの「益」という言葉は、ヘブライ語では会計の貸借対照表の余剰金、会計用語の余剰金を意味しています。要するに、その余剰金、自分の手元に残らない資産、余分なもの、この伝道者の書の中において、私がどんなに事業を起こして拡大して多くの資産を手に入れても、それは結局他の人に渡ってしまう。余剰金だ。虚しい、そういう風に言っているのです。

そういうわけで皆さん、この太陽の下においてどんなに労苦して働いて糧を得たとしても、それは余剰金です。一旦自分の手元にあったかと思えるものとしても、それは結局、主にある人ではないもの、主にないものは余剰金として他の人の手に渡ってしまうわけです。だから、礼拝を軽んじて、主一にこの世の仕事に明け暮れている人は本当に、まさしくこれですね。「日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろうか」。

礼拝を軽んじる人の大先輩がこのソロモンです。その大先輩がこういう風に言ってるんですよ。「日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」。それは余剰金に過ぎない。結局は、その持て余したお金、それで心配しなくてはならない。その持て余したお金が何か責められる対象になってしまう、そういうものになってしまうわけです。

私たちはこの伝道者の書を学んでいく上で、前提意識として持っていなくてはならないのは、それは確かに神様のことを知っている人であるけれども、でも神様から離れた成れの果てはこうなるよっていう、そういう書物であるという、そういう意識を持ってこれを読むべきです。

ソロモンがまずどういう人か。第一列王記の3章を開きたいと思います。第一列王記の3章のところに、ソロモンが王になったばかりの時に、主からどのようなことをいただいたか知らされています。

まず第一列王記の3章3節のところを見ますと、「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいたが、ただし彼は高き所で生贄を捧げ、香を焚いていた」とあります。

「王は生贄を捧げるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に、千頭の全焼の生贄を捧げた。その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え』」

それでソロモンは知恵が与えられるように、この全イスラエル、もうおびただしく栄えているこのイスラエル、多くの人々がおり、多くの事業が行われており、その全イスラエルを、自分はまだ若い。だから正しくこれを治めるための知恵を与えてくださいということを願います。

3節を読みますと、この時点でまだソロモンは主を愛して、それで父ダビデの掟に歩いていたんですね。まだ何も知らぬ頃、知恵がまだない頃、力がなく、また経験もまだまだ浅かった頃。この時点ではソロモンはまだ素晴らしかったのです。まだ主の御教えに従って歩んでおり、主に喜ばれていたからこそ、何でも欲しいものを願いなさいと主から言われていたのです。

そこでソロモンは知恵が与えられるように願いました。すると10節、「このことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵の命も求めず、むしろ自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今わたしはあなたの言った通りにする。見よ、わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先にあなたのような者はなかった。また、あなたの後にあなたのような者も起こらない。その上、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きている限り、王たちの中であなたに並ぶ者は一人もいないであろう」

「また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう」

この時はまだまだ希望に満ちていましたね、ソロモン。そして祝福の命令も与えられていました。14節のところで、「あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう」。

ソロモンは、今日読んだ伝道者の書で、「日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」になっちゃいました。なぜなら、ソロモンはダビデの道に歩んでいなかったからです。ソロモンには知恵の心と判断する心が与えられました。そして、あなたの先にも、あなたの後にも、ソロモンを凌駕するような者は起こらない。ですから、今2014年に生きていますけれども、2014年、これからもずっとでしょうね、ソロモンに勝るような者は起こらないわけです。

その人類全てをひっくるめて豊かな知恵が与えられ、また知恵ばかりでなく、富と誉れが与えられた。ソロモンなんですよ。そのソロモン、人類のあらゆる英知を集結したソロモンがたどり、神様から離れてたどり着いた結論が、「空の空、すべては空」であるわけです。

ソロモンはそのうちどういう風になったか、第一列王記の11章を開いてください。第一列王記の11章1節からお読みします。

「ソロモン王は、ファラオの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヒッタイト人の女を愛した。この女たちは、主がかつてイスラエル人に、『あなた方は彼らの中に入っていってはならない。彼らをもあなた方の中に入れてはならない。さもないと彼らは必ずあなた方の心を転じて彼らの神々に従わせる』と言われたその国々の者であった。それなのにソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。彼には700人の王妃としての妻と300人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた」

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心を他の神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。ソロモンはシドン人の神アシュタロテとアモン人の憎むべきミルコムに従った。こうしてソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。当時ソロモンはモアブの憎むべきケモシュとアモン人の憎むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。彼は外国人の自分のすべての妻のためにも同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香を焚き、生贄を捧げた」

「主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現れ、このことについて他の神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。それゆえ主はソロモンに仰せられた。『あなたがこのように振る舞い、わたしが命じたわたしの契約と掟とを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いてあなたの家来に与える。しかしあなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中はそうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。ただし王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデとわたしが選んだエルサレムのために一つの部族だけをあなたの子に与えよう』」

本当にこのモレクとか、またミルコム、子供を火に投げ込んで生贄に捧げるあの邪教の神ですよ。ソロモンはそれにその前にひれ伏してその像を建てて、そればかりでなく、この女たち、エジプトとかエドムとかシドンとかヒッタイトとかアモン人、モアブ人のその神々の像までもエルサレムの中で作って、それで彼女たちはその神々にエルサレムの中、イスラエルの中でそういう香を焚いて生贄を捧げたという、本当に恐ろしい悪、神様への反逆、それを行ったのです。これがソロモンが王であった時期、そういう風になりました。

そしてひるがえって伝道者の書では、もう「私はイスラエルの王であった」と過去形で、昔そこで王だったけども、今は王ではない。私が伝道者として言う、「空の空だ。日の下で行われることはどんなに苦労してもそれが何の益にもならない」。

皆さん、知恵を得ればいいってものじゃありません。頭良くなればいいってものじゃありません。主から離れたのであれば、その知恵は逆に災いとなって跳ね返ってきてしまいます。イエス様抜きのこの人生はただ辛いものだらけです。

ですからこの世の知恵者、キリスト抜きのIQだけがやたら高い人が行き着く先がこの伝道者の書です。だからある人たちはこの伝道者の書はなんか最高の知恵の書だって言う人がいます。確かにイエス様抜きの最高の知恵はこれです。「空の空、全ては虚しい」。虚しいってこの伝道者の書では38回も、このわずか何ページにも満たないところで、聖書中最も「虚しい」が多い書になってしまうわけです。

イエス様抜きの人生、礼拝を軽んじて世のビジネス、世の仕事に邁進していく人の成れの果てはこれです。あのソロモンでさえ、人類のあらゆる英知を獲得したソロモンでさえ、皆さんの何倍も頭がいいあのソロモンでさえ、キリスト抜きではこうなってしまうんです。ましてや皆さんはどうなるでしょうね。礼拝よりも世のビジネス、世の仕事の方に邁進して世の富を得ようとすることがいかに愚かであるか、ここを見ただけでも分かりそうですね。

伝道者の書を学ぶ上で、私たちが前提意識として持っていなくてはならないのは、それは確かに神様のことを知っている人であるけれども、でも神様から離れた成れの果てはこうなるよっていう、そういう書物であるという、そういう意識を持って、これを読むべきです。

だから、「日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」という言葉が出てきたとしても、これは確かに日の下で、要するにこの世において労苦しても、そう、何の益になるだろう、というのは真実でしょう。しかし、主イエス・キリストを持っている私たちは、労苦も、でも、それは益になるんです。

全てのことを益としてくださるという言葉がローマ書にありますね。私たちはどんなに罪を犯しても、どんなに失敗しても、イエス・キリストにある人は、その全てが益になる。ですから伝道者の書の学びをするときには、それに対するカウンターの言葉で返すということを私たちはしています。「日の下で、どんなに労苦しても、何の益になろう」。

詩篇127篇を見ますと、伝道者の学びであるある姉妹が、ここを読んで、なんかすごい違和感を覚えて、でも詩篇の127篇にはこう書いてあるよということで、そのカウンターを示してくれました。詩篇127篇、これは都上りの歌、ソロモンによると。ソロモン自身がまだ主を敬って、主を礼拝するために主に通っていた時代に詠んだ詩篇が、この127篇です。

「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きは虚しい。主が町を守るのでなければ、守る者の目覚めは虚しい。早く起き、遅く休み、辛苦の糧を食べる、これは虚しい。主はその愛する者には、眠っている間にこのように備えてくださる。見よ、子供たちは主の賜物。胎の実は報酬である。若い時の子らは、まさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ、矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは門で敵と語る時にも恥を見ることがない。アーメン」

その後ソロモンは言いますね、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きは虚しい」と。でも、その者は主抜きで家を建てて、虚しさに落ち込んでしまったのです。主抜きで家を建てるのは虚しいです。皆さんの家庭、皆さんの家族、家族構成、家族計画、そうしたものを主が建てるのでない家は、虚しさで終わってしまうんです。いくらその人が財産を貯め込んだとしても、その財産、その人が死んだときに、いろいろと奪われてしまうんです。いろいろな人に、多くの人たちの手によって引き裂かれてしまうんですね。主が成すのでないことは全て虚しいんです。

早く起きて、遅く休んで、早朝から夜遅くまで残業して働いても、主抜きで働くのは虚しいものです。「主はその愛する者には、眠っている間にこのように備えてくださる」と書いてあります。

ですから伝道者の書を読んで読み進めていく上で、それをそのまま鵜呑みにするのではなく、聖書の他の箇所と比べて、いかに神様抜きの人の知恵が虚しいか、いかにイエス様とともにある人生が潤いで満ちているか、それを対比しながら読み進めていくと、本当にこの伝道者の書は喜びと幸い、祝福で満ち満ちたものとなっていきます。

コロサイ書の2章にこう書いてあります。コロサイ書の8節から10節までのところをこう書いてあります。

「この虚しい騙し事の哲学によって、誰の虜にもならぬよう注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そして、あなた方はキリストにあって満ち満ちているのです。キリストは全ての支配と権威の頭です。アーメン」(コロサイ2:8-10)

ソロモンが記した伝道者の書、それはキリスト抜き、神様から離れた人が行き着いた知恵の書として、反面教師としてこの聖書に残されています。そういったものだと思います。ただ伝道者の書に書いてあることは、この地上で生きる人々にとって真実です。そして私たちもキリスト抜きで歩めば、この伝道者の書の通りになることが起こります。ですからこれは真実です。聖書であることには変わらないのですけれども、しかしキリスト抜きで行くものは幼稚な教えです。この世に属するものです。

キリストのうちにこそ神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っております。どうか皆さんは虚しく歩むのではなく、皆さんは命にあって歩んで、キリストにあって歩んで、そうして私たちのこの人生、キリスト抜きではただ虚しいだけです。でもキリストと共に歩むのであれば満ち満ちております。どうか皆さんは満ち満ちた人生を歩みますように。

他に知恵を蓄えたところで、キリスト抜きで蓄えた知恵はキリストに行き着きません。人間が、人間がいかにIQが何百あろうと何千あろうとも、キリストに行き着かないんです、人の知恵は。ただ虚しさに行き着くんです。でも、キリストは信仰によって皆さんのものとされました。IQそんなに必要ありません。皆さんは力もそんなに必要ありません。ただキリストに留まっているだけで、全ての満ち満ちた祝福が皆さんのものとなります。どうかその祝福の人生を歩み、虚しさ、それらは御言葉によって覆い尽くし、死は命で覆い尽くして、そして勝利の人生を歩んでいく皆さんでありますように、イエス様の名前によって祝福いたします。アーメン。

【結論】

伝道者の書は、人類最高の知恵を得たソロモンが、神から離れた結果たどり着いた「空の空、すべては空」という虚しさの書である。この書は反面教師として、キリスト抜きの人生がいかに虚しいかを私たちに教えている。どんなに知恵があっても、富があっても、主から離れたなら全ては余剰金に過ぎず、虚しさに終わる。しかし、キリストにある者は、どんな労苦も益とされ、満ち満ちた人生を歩むことができる。私たちはキリストに留まり、主と共に歩む祝福の人生を選び取るべきである。

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