メッセージ - 陣営の中を歩まれる主(申命記23:9-14)
礼拝説教メッセージ音声:陣営の中を歩まれる主(申命記23:9-14):右クリックで保存
『敵を攻めるために出て陣営におる時は、すべての汚れた物を避けなければならない。・・・あなたの神、主があなたを救い、敵をあなたにわたそうと、陣営の中を歩まれるからである。ゆえに陣営は聖なる所として保たなければならない。主があなたのうちにきたない物のあるのを見て、離れ去られることのないためである。』(申命記23:9-14)
イスラエルが戦いにおいて勝利する理由は、主が陣営の中を歩まれるからであり、主が陣営の中に留まって下さるためには、陣営の中からは汚れを取り除き、「聖なる所」として保ち続けなくてはならない。
『あなたがたのうちに、夜の思いがけない事によって身の汚れた人があるならば、陣営の外に出なければならない。陣営の内に、はいってはならない。しかし、夕方になって、水で身を洗い、日が没して後、陣営の内に、はいることができる。あなたはまた陣営の外に一つの所を設けておいて、用をたす時、そこに出て行かなければならない。また武器と共に、くわを備え、外に出て、かがむ時、それをもって土を掘り、向きをかえて、出た物をおおわなければならない。』(申命記23:10-13)
人は、どんなに気をつけても、内面から汚れが出てきてしまうものだが、その場合は自らを清めなくてはならないし、また、排泄は陣営の外の一定の場所で為し、事後はそれを覆わなくてはならない。
私達も、世での戦いにおいて、同じ事が言える。
主がイスラエルの陣営のただ中を歩まれたように、私達はキリストにあって神の住まわれる神殿であり(1コリント3:16)、主は私達と共に歩んで下さる。
『あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる。』(ゼパニヤ3:17)
この慰めに満ちた御言葉は、懲らしめを受けて悔い改めた者に与えられる御言葉である。(ゼパニヤ1−3章)
だから、私達が悔い改めなくては、主は、救いの勇士となっては下さらないし、清めなければ私達を喜ばれる事も無い。
もし、いつも何かに負け通しである場合、あるいは、主が共におられないような感じがする場合、まず、自分の中から主が忌み嫌うようなものを持ち合わせていないか確認してみてはどうだろうか。
そしてそれが示されたなら、それを生活ステージの中から取り除き、きよめてみてはいかがだろうか。
主は私達に、汚れから分離せよ、と、言われている。
『不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、/「わたしは彼らの間に住み、/かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、/彼らはわたしの民となるであろう」。
だから、「彼らの間から出て行き、/彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。そしてわたしは、あなたがたの父となり、/あなたがたは、/わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。』(2コリント6:14-18)
また、私達と共に歩まれる主への信仰が無くては、勝利はあり得ない。
イスラエルの民は、巨人ゴリアテを恐れ、イスラエルの陣営をなぶる事を40日もゆるしていたが、ダビデはゴリアテを見て「この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか。」と言った。(1サムエル17章)
ダビデ以外のイスラエルの民は、ゴリアテの巨体と装備、強そうな成り立ちを見て恐れた。
しかしダビデは、これを「イスラエル人対ペリシテ人」という戦いとは見ず、「神対ペリシテ人」という戦いとして見て、勝利は当然のもの、神に敵対したペリシテは、しかばねとなって当然のもの、と、真理に基づいた信仰告白をした。
「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。きょう、主は、おまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは、おまえを撃って、首をはね、ペリシテびとの軍勢の死かばねを、きょう、空の鳥、地の野獣のえじきにし、イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。
またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである。」
そうダビデが信仰告白した通りに、ゴリヤテはダビデに倒され、ペリシテは敗走し、その日、イスラエルは大勝利した。
私達も、ダビデと同じ神、主が、私達の内に「救いの勇士」として、共にいてくださる!
いかに敵が力強く、装備も数も勝っていようとも、私達の内にいます主イエスが「救い主」であると信じ、この御方に委ねるなら、主がその戦いを戦ってくださるのだ。