メッセージ - 離婚について(申命記24:1-5)

離婚について(申命記24:1-5)

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執筆 : 
pastor 2014-3-19 21:27

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『人が妻をめとって、結婚したのちに、その女に恥ずべきことのあるのを見て、好まなくなったならば、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなければならない。』(申命記24:1)

モーセは離縁状を渡して離婚する事を認めているが、離婚は、人の本来の有り方から離れている。結婚は、結婚相手に対しコミットし、自分自身を"唯一の異性”として排他的に捧げる事だからだ。
『イエスは言われた、「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。』(マルコ10:11-12)

では、なぜモーセは離婚を許したのか。
『イエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない。」』(マルコ10:5-9)

主は、ひと度結婚して一つ肉となった連れ合いを、裏切ったり、しいたげたり、離婚したりする者を、憎む、と言われる。
『あなたがたはまたこのような事をする。すなわち神がもはやささげ物をかえりみず、またこれをあなたがたの手から、喜んで受けられないために、あなたがたは涙と、泣くことと、嘆きとをもって、主の祭壇をおおい、「なぜ神は受けられないのか」と尋ねる。これは主があなたと、あなたの若い時の妻との間の、契約の証人だったからである。彼女は、あなたの連れ合い、契約によるあなたの妻であるのに、あなたは彼女を裏切った。
一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。イスラエルの神、主は言われる、「わたしは離縁する者を憎み、また、しえたげをもってその衣をおおう人を憎むと、万軍の主は言われる。ゆえにみずから慎んで、裏切ることをしてはならない」。』(マラキ2:13-16)
だから、もし伴侶を裏切ったり、しいたげたりしたままで礼拝に来るとしたら「涙と、泣くことと、嘆きとをもって、主の祭壇を覆う」事であり、主は、そのような者の捧げ物は、受け取らない。

創造のはじめ、神である主は、人にいのちの息吹(霊)を吹き入れられ、神の子として創られた。
肉体的に交われば、その相手と一つ肉とされるが、神の民にとっての結婚は、同じ霊において一つとされる事でもである。
『あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。しかし主につく者は「主と一つの霊」になるのである。
不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。』(1コリント6:15-20)
それ故、どの霊にあって交わるかが肝心であり、結婚は、キリストにあって一つとされるべきものである。

片方が信者となっても、片方はそうでないような場合もあるが、パウロはその場合について、次のように勧めている。
『これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。
しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。』(1コリント7:11-16)
結婚は、キリストにあってこその結婚であり、キリストにあって一つ霊につながり、一つからだにつながる事こそ大切だ。
だから、キリストぬきに相手が去っていくのであれば、去らせるに任せなさい、とパウロはすすめているのである。

神様が与えて下さった命令、産めよ、増えよ、地に満ちよ、という祝福から見ると、結婚は、一つの家を作り、神の民である子孫を、氏族を、さらには国を生み出していく「一大事業」である。
モーセは、離縁状を渡して相手を去らせる事を許したが、それは、決して結婚を軽んじているからではない。その証拠に、彼は次の事も同時に命じているからだ。

『人が新たに妻をめとった時は、戦争に出してはならない。また何の務もこれに負わせてはならない。その人は一年の間、束縛なく家にいて、そのめとった妻を慰めなければならない。』(申命記24:5)
この「慰め」なければならない、と訳された語「サーマク」の原意は、「前途有望にする」「前途を明るくする」の意味であり、そこから「喜ばせる」「元気づける」の意味となった。
結婚して一年間、夫は、社会的なつとめという「束縛」からは開放されるが、では全くのフリーかと言うと、とんでもない。

男は、結婚すると、一家の主人となる。
新しくスタートした「一家」の前途を有望にさせるために、まずは妻の前途を明るくさせ、喜ばせ、元気づける事に専念させるために、モーセはこの一年という期間を設けたのだ。

夫は本来、妻に、捧げ尽くす愛(アガペー)で、愛すべきである。以下の御言葉の「愛」には、全てアガペーが使われている。
『夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。』(エペソ5:25-28)

そして妻は、そんな夫を尊敬し、仕えるべきである。
『妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。』(エペソ5:22-24)

夫に対する命令、妻に対する命令、いずれも、難しいものである。いや、肉にある人間には、出来ない事である。
しかし、「キリストにあって」可能である。
だから結婚は、キリストにある事こそ、最も大切なのだ。

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