メッセージ - 惜しみなく与える人の幸い(申命記24:16-22)
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今回の箇所でも、孤児ややもめ、寄留の他国人など、弱い立場にある人達の権利を守るべき事が命じられている。
『父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである。』(申命記24:16)
主にあっては、父親や母親の罪を、子は、宿命的に受け継ぐわけではない。
主の御言葉を忠実に守り行う人は、親や子がどんな罪深くあっても、必ずいのちを得るし、主の御言葉を軽んじ、その命令を破る者は、親や子がどんなに信仰者であっても、必ず滅びる。(エゼキエル18:1-9)
そして、親は子になり代わって悔い改めたり、いのちを得たりする事は出来ないし、子の信仰が親を救うわけでもない。
救いも滅びも、最終的には、本人と神様との問題なのだ。
『寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。あなたはかつてエジプトで奴隷であったが、あなたの神、主がそこからあなたを救い出されたことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。』(申命記24:17-18)
私達もキリストにあって救われる以前は、罪の奴隷であり、自らの悪い行いの故に貧しく、助けが必要であ所を、主に助けられ、癒され、永遠のいのちを生きる事が出来るようになった。
私達はその事を忘れてはならず、もし私達も、主がして下さったように、助けを必要としている人をあわれみ助けるなら、主は私達を、大いに祝福して下さる。(申命記24:19)
『あなたがオリブの実をうち落すときは、ふたたびその枝を捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。またぶどう畑のぶどうを摘み取るときは、その残ったものを、ふたたび捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。』(申命記24:20-22)
ボアズは、まさにこの命令どおり、イスラエルの神を頼ってきた、モアブ人のやもめ・ルツのために、色々な便宜を計ってやった。
彼女が自分の畑では自由に落ち穂を拾わせ、それも、麦の束の中からわざと落として彼女に拾わせたのだ。(ルツ記2章)
彼には、このようなたしなみがあったからこそ、イスラエルがききんだった時でも、着実に、有力者として栄えて行った。
それは彼が、弱い人のための憐れみを惜しまなかったからだ。
弱っている兄弟姉妹に、惜しまず助けの手をのべる事、それが、不況の世にあっても、着実に栄えて行く者のたしなみである。
『与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。』(ルカ6:38)
『わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。』(2コリント9:6-7)
進んで喜んで捧げる人に対し、主は、さらに豊かに与え、満ち足らせ、全ての良きわざにおいて、さらに富ませて下さるお方である。(同8-9節)
『種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは、あなたがたにも種を備え、それをふやし、そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである。こうして、あなたがたはすべてのことに豊かになって、惜しみなく施し、その施しはわたしたちの手によって行われ、神に感謝するに至るのである。なぜなら、この援助の働きは、聖徒たちの欠乏を補うだけではなく、神に対する多くの感謝によってますます豊かになるからである。』(同10-12節)
永遠なる主に喜んで奉仕し捧げる人を、主は、あらゆる点で豊かにし、さらに惜しみなく与えるようにして下さり、そこからさらなる感謝が生み出され、そうして、聖徒全体の必要を主は満たし、余らせるのである。