メッセージ - カイン2 - 呪いと拒絶と放浪の原因(創世記4:6-15)
カイン2 - 呪いと拒絶と放浪の原因(創世記4:6-15)
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主への捧げ物が受け入れられなかったカインは、怒り、主に対し顔を伏せるという傲慢な態度を取ったが、主は彼を早速罰するのでなく、彼を恋い慕う罪から助け出そうと、彼に「罪を治めよ」と助言した。
罪を治めるとは、前回学んだ通り、神に逆らって立つ全ての思いを捕縛してキリストに服従させる事である。
しかしカインは、主のアドバイスどおりにせず、罪を治める努力をせずに、逆に、怒りに身を委ねた。
『カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。』(創世記4:8) こうして人類初の殺人は、女から生まれた最初の人によって行われた。
アベルは、カインの手によって血が流れ、カインの目の前で倒れ、カインの目の前で息が絶えた。
アベルはもう二度と、その目がカインを見る事はなくなり、その口でカインに語りかける事も、なくなった。
全能なる主は、どれ程心を痛めていただろう。それでも主は、再度、カインのほうに歩み寄った。
『弟アベルは、どこにいますか。』(創世記4:9a) この主からの問いかけに、自分は一体アベルに何をしてしまったのか、アベルは今どうなって、一体どこに行ってしまったのか、そこに思いを馳せるのではなく、さらに傲慢無礼になって、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか。」(創世記4:9b) と、主に答えた。
怒り。それは、兄弟姉妹への愛と憐れみを忘れさせ、主から伸べられた救いを忘れさせ、主への恐れと、地獄の刑罰に対する恐れをも、忘れさせる。主は、人の怒りにひるむお方ではないし、「ああそうですか、それじゃ他を当たります」などと退くような方ではない。主は、侮られるような方ではない。
自分の為した結果と、神の前で告白した言葉の報いは、きっちりと、受けるのである。
自ら手を下して動かなくなってしまった兄弟姉妹を見ても、何とも思わない者、自分が一体兄弟姉妹に何を言ったか、何をしてしまったかに、心を配らない者、全能者を前に、恐れる心もなく、うそをつき、楯突くような者は、仕事が呪われ、人々からも忌み嫌われ、どこにも居場所が無くなり、さすらい人となるのだ。
『主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。 』(創世記4:10-12)
不当に流された血は、その地を汚す。カインは土を耕す者だったが、その土地はカインにとって呪われたものとなり、もはや彼が耕しても、地は彼に敵対して、産物を出さない。
不当に傷つけて流された血は、主に向かって叫ぶ。経済的に流された血も主に叫び(ヤコブ5:4-5)、貧しい人の心が流した血の叫びを、主は忘れる事は無い。(詩篇9:12)
その叫びによって、血を流した者の手のわざは呪われる。そして流されてきた義人たちの血は、アベルの時から積み重なっており、終わりの日に、血を流した者たちの上に返ってくるのである。(マタイ23:35)
自分の罪や恥ずべき事を「指摘」された時、嫌がったり、話題を逸そうとしたり、あるいは指摘している人を逆に訴える者がいるが、そのような人は、いつまでも呪われた生き方から脱却出来ない。
自分の罪と向き合う事をしないから、罪は相変わらず手付かずのまま残ったままで、その罪が、神との隔ての壁となり、祝福の窓はふさがったままだからだ。
カインもアダムも、神様から罪を指摘された時、それを認めるのではなく、逆に訴え、それで呪いが確定してしまったように、罪を認めず、神や人を逆に訴える者の受ける分は、呪いと人々からの拒絶と放浪である。
『カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。』(4:13) この言葉には少しだけ、神様に憐みを求める意図が見えるが、続く言葉は、これから待ち受けいる呪いへの悲嘆とつぶやきに満ちている。
それでも神は、そんな彼のわずかばかりの憐れみを求める願いにこたえて下さり、出会う者がだれも彼を撃つことのないようにと、カインにしるしを付けて下さった。神は幾度、カインに憐れみで歩み寄っただろう!
カインは神の憐れみにへりくだり、悔い改めるべきだったが、そうではなかった。次回に詳しく見ていきたい。
神に逆らって立つ全ての思いを捕縛してキリストに服従させ、罪を逆に支配する皆さんでありますように!